Infinity 第三部 Waiting All Night26

庭 小説 Waiting All Night

 お薬の庭とは、礼の薬草園のことである。今まで礼はそこに子供たちを近づけはしなかったが、今日は違った。二人は薬草園に行きたがって駄々をこねても、優しい顔をしてくれなかったお母さまが今日は行こうと言ってくれたのではしゃいだ。
 裏庭の一角を仕切って囲った中に入っていって、礼は薬草の摘み方を教えた。二人は熱心に聞いて、神妙な手つきで摘んでいく。しかし、小さな子供がそれほど長く集中が続くわけもなく、薬草摘みに飽きてきた二人を礼は広い庭に連れ出した。侍女の縫の子供を加えて、礼は縫と男の舎人とで子供三人がかくれんぼや、木登りをして遊ぶのを見守っている。
 邸の中からは時折大きな音が聞こえてくる。部屋の中を手荒い動作で捜索していると思われた。庭には怖い目つきの兵士が槍を持って立っていて、家の者を見張っている。
 実津瀬が木に登ると、蓮も舎人に自分も枝に登らせろとせがんで、縫の娘とともに枝につかまって遊んでいたが、子供たちはそろそろ部屋の中に入りたがった。礼は子供たちをなだめながら庭を彷徨うように歩いていると、徐々に庭の奥から、邸へと戻ってきて、階の上に実言の実母の毬が侍女とともに立っているのが見えた。
 礼達は毬の住む離れの庭へと歩いてきたのだった。
 実言が自身の邸を持った時に、二つのことを引き受けた。一つは、実言の実母の毬を本家から一緒に連れてきたことだ。それには、毬はとても嬉しがった。もう一つは、邸の隣に診療所を作ったことだった。最初は近所に住む役人やその家族に病人けが人が出ると症状を見て薬湯や塗り薬を分けていたのだが、そのうちその手当は庶民にも広がった。礼は人助けが好きだから、近所で熱が出て苦しんでいる者がいると聞けば、だれかれ隔てなく何かしら手当をしてやるので、皆が頼りにしてくるのだ。それなので、束蕗原から去の弟子二人ほどに手伝いに来てもらっていて、実言の邸はそこそこ多くの使用人を使う大所帯になっていた。
 礼と孫たちを見つけた毬は階を降りてきた。礼も子供たちを縫と舎人に任せて、義母の元に行った。
「礼」
 眉をひそめて立っている毬に礼は寄り添った。
「お母さま、どうされましたの?」
「検非違使や兵士たちがやってきて、部屋を改めると言われて簀子縁に追い立てられて、しぶしぶ出てきたところよ」
 今朝、礼と別れた実言は母親の住む離れに赴いて、これからのことを話して聞かせていたので、毬はいきなり知らない男たちが部屋に入ってきても驚きはしなかったようだ。
「無造作に部屋の物を触ったり、動かしたりするのが心配よ。思い出の品や、高価なものがあるから、慎重に扱ってもらいたいものだわ」
 と不平をたれた。
「まあ」
 礼は、この先の岩城家の行く末に悲嘆するのではなく、身の回りの愛着のある品の心配をしている毬に感服する思いだった。
「あばあさま!」
 双子は祖母の姿を見て走り寄ってきた。毬は侍女がもってきた沓を履いて、庭に降りて孫たちの方へ歩いた。同じ敷地に住んでいるから、双子と毬はよく会っている。今も優しい祖母に会ったのが嬉しいらしく、蓮は祖母の足に抱き着いた。
 庭ばかり歩いて、建物に近づかないようにしていたから、今、毬の住まう離れの様子を見て、礼は驚いた。
 毬の部屋の中では役人と短甲を着た兵士が大王を呪詛した痕跡を見つけようと、部屋の中であっちだこっちだと指図する声に従って几帳を倒して歩き回り、蓋のあるものは全て開けて、怒声や猥雑な笑い声と共に箱の中のものを引き出して触っている。
 礼や毬たち女子供は、その捜索に慄いて一塊になってその様子を見守った。蓮は祖母の足につかまっていたが、あまりにもきつく抱き着くので毬はその手を取り、胸に抱き上げた。
 礼は、息子と手をつないで邸の様子を窺っていた。息子の実津瀬は礼の手をぎゅっと握ってその様子見ている。実津瀬は目をそらすことなく、じっと我が邸を好き勝手に荒らされているその光景を、目に焼き付けるように見ているのだ。小さな手が、目一杯母の手を握ってくるのは、幼い心にも役人や兵士たちの行為に憤っているのだ。
「何か出てきましたかな」
 その時、母屋から離れにつながる渡殿を渡って、実言が後ろに役人を引き連れて現れた。簀子縁から部屋の中に声をかけると、毬の部屋の中にいた役人と兵士は驚いて動きを止めた。邸の主人である岩城実言が現れて、その横にはこの捜査の指揮を取る役人が立っている。
 盗人のように好き勝手をしていいわけではない。度が過ぎて狼藉まがいのことをし始めそうな雰囲気の手前でのかけ声だった。
 咳払いした指揮官は、声を張り上げた。
「何か怪しいものが見つかったのか!」
 誰もその声に然りと答える者はいなかった。疑惑があるからといっても、臣下一の権力者の邸である。もしも、何の証拠も出ることなく、逆に誤った対応や粗相があった場合、その責任をどうとるのか考えて行動しなくてはいけない。
 指揮官は上ずった声で言った。
「何もなければ、次の部屋じゃ!」
 号令におうっと答えて、兵士たちは簀子縁に出て行った。もう邸の全ての部屋を見て、兵士たちは母屋に戻り、次は庭をしらみつぶしに見にかかった。
 時刻は正午になった。岩城実言の邸から大王を呪う証拠は出てこず、何も成果のないまま捜査は終わった。
 予想通りに何も証拠は出ず、疑惑だけが残ったのだった。
 役人、兵士たちが立ち去った後、毬の住む離れに礼と双子は身を寄せて、部屋の片づけを手伝っていたら、「お腹が空いたわね」と毬が言い出して、台所から栗の蒸したものを持ってこさせて皆で食べた。
 そこへ実言が現れた。父親に会えたのが嬉しくて、子供たちは実言の腕の中に飛び込んでいった。
「皆、心配をかけてしまった。申し訳ない」
 実津瀬と蓮を左右の腕に抱き上げて、実言は部屋へと入ってきた。
「母上、思い出の品に傷などありませんでしたか?」
 実言は礼に微笑んで、隣に座る母を気遣った。
「ええ、皆に手伝ってもらって、確認したけど大丈夫だと思うわ」
 毬は栗を食べた手を拭きながら答えた。
「そうですか。しかし、今日中にもう一度確かめましょう。後で、人をやります」
 実言は母親の部屋で、皆と少し話をしてから、妻と子供を連れて自分の部屋に戻った。礼は部屋の中に入ると違和を感じたが、何も言わずに夫が子供たちと遊んでいる姿を見守っていた。子供二人は遊び疲れて次々と眠ってしまったので乳母に子供たちを預けた。実言と二人きりになった礼は、静かに机に向かって薬草の本を書き写した。
 実言は別の部屋に行って舎人の渡道と話し込んだりして忙しい。一段落したところで、礼のところに戻ってきた。
「父上のところに人を遣ったところだ。父上のところも何もないといいのだが」
 礼は部屋の真ん中に座った実言の傍に寄り添った。
「そうね。本当に」
「部屋の中の物をいろいろと捨てたよ。部屋の様子が少し変わってしまった」
 部屋の中の違和感は、役人達の捜査した後に、実言自身が部屋の中をもう一度改めたからだった。
「相手に何か仕組まれたらいけないので、もう一度調べさせたよ。部屋の中を自由にさせて、濡れ衣を着させられるような品を紛れ込まされたらいけないからね。お前の薬草も、土に埋めさせてしまって、すまなかった」
 礼が持っている薬草の中には毒になるものもあり、それを捨てることを実言と話して、その晩に台所に埋めたのだった。
 礼にとっては、小さなことで気などしてない。
 王族派が、大王を呪詛する証拠をでっち上げてしまわないように実言は役人たちが帰って行った後、徹底してもう一度部屋を改めた。相手に隙を与えないために念には念を押した。
 本家から人が帰ってきて、園栄の言葉を伝えられた。無事に乗り切ったとのことだった。本家はここよりももっと大きくて広い。園栄と長子の蔦高の一家に小さな弟妹たちが住まわっていて、そこに仕える家人侍女の人数もここの比ではない。今は、もう一度部屋の中を確認するのに上へ下への大騒ぎだ。

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