New Romantics 第ニ部STAY(STAY GOLD) 第七章24

小説 STAY(STAY DOLD)

 翔丘殿に着いた朱鷺世が支度部屋に入るとすぐに裏方の男から声がかかった。
「朱鷺世、ここに座れ」
 朱鷺世は黙って指示された場所に胡座をかいて座った。朱鷺世の正面に男は座ると箱から白粉を出して朱鷺世の顔に容赦無く塗りたくった。
 舞台の化粧を自分でやればいいのだが、舞以外のことはとんとできない朱鷺世は黙って座わり目をつむって、言われるままに顔の向きを変え、目や口を開けたり閉じたりする。そうしていたら、綺麗な顔が仕上がっている。
 今も言われるがまま目をつむっていると化粧は出来上がった。
「朱鷺世、このまま横になってもいいぞ。昼寝しな」
 朱鷺世は目をつむっていたら眠たくなってうとうとしていたので、男も言葉に頷いて、仰向けになると男は首の下に枕を入れてくれた。
 宴の日取りは占いによって今日と決まった。皆、天気を気にしていたが祈りが通じたのか青空が広がっている。晴れていて、そして暑い。
 先ほどまでは眠たかったのに、寝ていいと言われたら眠気がどこかに行ってしまうのはなぜだろう。
 朱鷺世はそれでも目を瞑ったままでいると、頭の中に様々な思いが浮かんできた。
 あの男の姿はまだ見ていない。まだ、この離宮に着いていないのだろうか。
 今回も露は宴の手伝いには選ばれなかった。昨日、夕暮れ時に会いに行った時そのことを嘆いていた。
 眠くなってきたが、そろそろ食事をしないといけない。直前に食べると、体の動きが悪くなる。
 そんなことが色々と浮かんでは消えていっていると、母屋から静かに廊下を歩いてくる足音が聞こえた。
「実津瀬殿。もう、戻ってこられたのですか?」
「あれ、早かったかな」
「岩城家の方々とはお会いになれましたか?」
「うん。会えたよ」
「それは何よりです」
 化粧をしてくれた男と岩城実津瀬の会話が聞こえて来た。その会話から岩城実津瀬は朱鷺世より先に翔丘殿に到着していたのだとわかった。
「もう少ししたら食事の時間です。もうしばらくゆっくりとされてください」
「そうだね。私も少し横にならせてもらおうかな」
「では、こちらの部屋にどうぞ」
 男は几帳を隔てた向こう側に岩城実津瀬を案内した。歩く音、横になるために膝をついて床が軋む音が聞こえた。
 朱鷺世と同じように適度に緊張し、疲れを感じているのだろう。
 岩城実津瀬が横になって身じろぎする気配がする。
 あの男は岩城家の者たちと会えた、と言っていた。一旦ここに来てから、先ほどまで母屋の観覧席の一族たちに会いに行っていたということか。一族に会ったということは、当然勝負の前に元気づけてもらって来たということだ。
 俺はどうだ。
 あいにくそんな者はいない。麻奈見や淡路が励ましてくれるが、それは岩城実津瀬にも同じことを言うことだろう。雅楽寮を代表する自分に多くの熱量を注いでくれるかもしれないが。
 こんな時、露が女官の一人としてこの場所にいてくれたら。
 そうであれば、こっそりと少しの間ここを抜け出して、露に会いに行っているはずだ。
 あの錦の上着を着て行くことはできないが、風呂に入り、化粧をした自分の姿を見たら何て言うだろう。そして、負けられない勝負を前に何と言ってくれるだろうか。
 昨日……、会った時は。
「朱鷺世が勝つわよ」
 と言った。それは何の根拠もない言葉であったが、一番そう言ってほしい人が言って欲しい言葉を言ってくれた。
 誰か一人でも朱鷺世が勝つと心から言ってくれることは、朱鷺世の心の支えになった。
「だから、昨年みたいに宴の後何日も日を空けて会いにくるのではなくて、すぐに会いに来てね」
 横に並んで座っていた露は、体を捻って両手を広げ朱鷺世の体を包んだ。
「……ん」
 返事なのかただ鼻から息が抜けただけなのか判別できない朱鷺世の声に露は笑って、顔を上げた。
「私、待っているから」
 そう言って露は朱鷺世に口づけした。柔らかな唇が優しく吸う。それが強くなって、朱鷺世は同じ力以上に吸い返した。
 一年前は二人ともみすぼらしい格好をして、食事も満足に食べられず痩せ細っていた。そしてまだまだ幼かった。しかし、今は違う。着ているものは格段に良くなった。朱鷺世は舞の衣装のような煌びやかなものに袖を通すことができる。食事も取れて、肉付きも良くなった。そして、二人が互いの体を求める表現も拙さがなくなり、強く優しく触れられるようになった。
「朱鷺世、好きよ」
 思い出したようにたまに露はそう囁く。
 昨日も別れる前に露は抱きついたまま言った。
「ん」
「明日の夜は月を見ながら祈っているわ」

「朱鷺世……朱鷺世……」
 朱鷺世は揺り動かされて、目を開けた。
「そろそろ食事を摂っておけ」
 化粧をしてくれた男が肩をポンと叩いて言った。
 横になったら眠れなくなったなんて思っていたが、いつの間にか眠っていたようだ。
 陽はだいぶ西に傾いたようで、日差しも弱まったように見えた。
 朱鷺世はゆっくりと体を起こして、近くに置いてある水差しから水を椀に注いで喉を仰向けて一気に水を飲み干した。
 両手を上げて大きく伸びをした。その時に風呂の支度を手伝った付き添いの若い男が粥を載せた盆を持って部屋に入ってきた。
 朱鷺世は黙って盆から粥の入った椀と匙を取って、黙々と口の中に入れた。
 几帳を隔てた向こう側でも音がしているから、岩城実津瀬が同じように粥を食べているのだろう。
「朱鷺世、食べ終わったか?」
 上から淡路の声がして、朱鷺世は顔を向けて頷いた。
「そろそろ、衣装の準備をしようか」
 言うと、淡路はふいっと几帳の向こう側に行った。
 同じことを岩城実津瀬にも言っている声が聞こえた。
 食べ終わった椀を置いた盆を付き添いの男に渡して、朱鷺世は立ち上がった。

 群青の空に半月が浮かび上がる。まだ、西の空には茜色が残っている頃、王宮から車に乗った大王がたくさんの警備、随行者を伴って離宮である翔丘殿に到着された。
 それは母屋奥で準備をしている雅楽寮の者、実津瀬や朱鷺世もすぐに気づいた。
 袴を着けて、髪を整え、化粧を直してあとは桂が作った上着を着れば良いだけまで準備ができたところで、その騒がしさが聞こえてきた。
「大王が到着された。そろそろ舞台に移動しようか」
 雅楽寮長官の麻奈見が現れて言った。
 箱から出されていつでも袖を通せる状態になっていた上着はようやく袖を通してもらえた。帯を締めて二人が並んで麻奈見の前に立った。
「二人とも昨年経験していることだからよく分かっていることと思う。我々は大王に良い舞をお見せすることが一番の使命だ。最高の舞を見せておくれよ」
 実津瀬と朱鷺世は頷くと淡路に連れられて庭から舞台裏へと向かった。
 
 翔丘殿に到着した大王は車から降りると控えの間で少し休憩をされた。
 幼少の頃から体が弱く、今も一日中宮殿の寝室に臥せておられる日もある。今日の宴は数日前から体調を整えるために仕事を控えて、臣下や母の継皇太后が代わりに対応できるものは任せて臨まれていた。
 控えの間の椅子に座り、傍には大后が付き添っている。
「大王、どうぞこれを」
 美しい瑠璃(ガラス)の器に入った水を差し出した。大王は右手で器を持ったが、大后も手を離さず二人の手で支えて水を一口、口に含んだ。
「………大王……ご気分はいかがですか?」
 大后の後ろに控えている桂が恐る恐る申し上げた。
「……桂、心配するでない。雛も大袈裟にするでないよ。久しぶりに車に乗ったから少し疲れただけ。今夜は気分がいいのだ。少し休めば席に移動できる」
大王は瑠璃の器から手を離して、大后の雛に預けて言った。
 顔色は白いが声ははっきりとしていて、体調の悪さなど感じさせないものだった。
「差し出がましいことを申し上げてしまいました。申し訳ありません」
 桂が言った。
「そんな悲壮な声を出すものじゃない。皆が朕を重篤な病人扱いするものだから言ったまでよ」
 大王は言って笑って見せ、目を瞑った。
 その様子を皆が固唾を飲んで見守る。
「昨年の月の宴を思い出していた。素晴らしい舞台だった。……今年もその舞台が見られるのは幸せなことだ。……なぜだろう。宮廷の催しや宴でいくらでも舞を見ているのに、月の宴の舞は何か違う」
 大王は言って大きく息を吐き、目を開いた。
「行こうか?もう、皆は揃っているのだろう」
 大后の手につかまって立ち上がった。

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