New Romantics 第ニ部STAY(STAY GOLD) 第六章14

小説 STAY(STAY DOLD)

 これまでも夫婦仲がよいことは周りの誰もが認めるところだったが、月の宴での舞の対決が終わった後はそれまでにも増して実津瀬と芹の仲睦まじいさは目立った。それは実津瀬が舞の対決に勝利したのは芹の支えがあったからだと、改めて芹に感謝し、さらに愛情が深くなったからだ。
 夜か深まった今も。
「芹」
 寝室から庇の間で縫物をしている芹を実津瀬が呼んだ。
 芹は手を止めて、途中の縫物を箱にしまって立ち上がった。
「待っていたんだよ」
 実津瀬が言った。
「ごめんなさい。冬に向けて淳奈とあなたの肌着を作っているのよ」
 芹は褥の上に上がって実津瀬の前に座った。
 部屋には高灯台の灯が揺らめいて二つの影が一つに繋がるのを映し出した。
 都では天気の良い日が続いて、地面は乾ききって大路は砂が舞い人々は目を傷めた。川の水は少なくなり、作物は暑さに負けてしんなりとなって、都の人々は雨よ降れ、と願っていた。
 その願いが通じたのか、昨日から雨が降り始めた。
 人々は恵みの雨だと喜んだ。
 雨は止むことなく、今日も降り続いているのだった。
 実津瀬は雨が降っても宮廷に行く用事があったようで朝、いつも通り出仕した。仕事を終えて本家に立ち寄り、そこから五条の邸に帰って来た。
 雨で体が冷えているからと、女主人の礼が風呂の支度をするように命じて、実言、実津瀬をはじめ邸の者たちが順次入った。芹も淳奈と一緒に風呂に入って体を洗い、温めた。
「今夜は雨でいつもより肌寒いから」
 と言って実津瀬は寝転び、芹も隣に寝るように促した。
 芹は素直に実津瀬の横に寝転び、実津瀬の胸に飛び込んだ。
「今日はこんな雨なのに宮廷に行かなければならなかったのですか?」
 芹は訊ねた。
 今も外では屋根や簀子縁を打つ連続した雨音が聞こえている。
「うん……大王にお渡しする文書を作らなければならなかったのだ。これまで日照りが続くことを心配して上申が上がっていて、それに基づいて大王にお伝えする文書を作成していたのだが、雨が降ったので差し替えが必要になるだろうと思ってね」
「そうだったのね……。今日は昼間……雨の中、王宮の遣いが来ていたようでしたけど」
「ああ。私が邸にいたら、桂様の邸に来るようにと使いは言ったそうだ。生憎私はいなかったから、使いは帰っていたのだよ」
「今日で二度目ではないですか?」
 芹は心配そうな声で問うた。
 確かに、桂の遣いが来たのは今日が二度目だ。一度目は三日前、いつもなら実津瀬は宮廷から下がって邸に戻っている時間だったが、稲生たちに会いに本家に行っていた。二度目の今日も同じように本家に立ち寄って不在だった。
 桂姫から二度もお呼びがかかっているのに、それに応えない実津瀬を芹は心配しているのだった。
「そうだなぁ」
 と芹の心配に意を介さないような呑気な言葉が返って来た。
 だから、芹は重ねて言った。
「桂様のご機嫌を損ねるようなことになってはいけないでしょう?」
 しかし実津瀬は明るく笑って。
「そんなこと、芹が心配することはないよ。私は桂様の従者ではないのだから、何でも言うことを聞かないといけないことはない」
 と言って芹の髪を撫でた。
 そうかもしれないが、桂は大王に気に入られている一人の権力者である。何かの行き違いでその怒りに触れた場合、どのようなことが起こるのかわからない。芹は夫が理不尽に罰せられないか心配なのである。
「芹の体は温かいな……」
 実津瀬は芹の気持ちを知ってか知らずかそう言って、芹の体に腕を回して言い、しばらくして顔を上げると。
「芹……下着も脱いで。素肌を抱きたい」
 と言った。
 芹は夫の言うとおりに起き上がって、帯を解き寝衣を脱いで裸になった。実津瀬も半裸になって芹の体を受け止めた。
 実津瀬の体だって風呂に入って温かいわ、と芹は思った。
 実津瀬に口づけられた後きつく抱き締められたら、芹はもう桂のご機嫌をどうとるかなどという心配はどこかへ行ってしまって、実津瀬との愛の行為に夢中になった。
 翌日も雨は降り続き、都の道というと道は雨水で覆われた。
 この日は実津瀬も一日中邸にいて、淳奈が舞を舞うのに合わせて笛を吹いてやった。淳奈が父に教わったことを一生懸命真似する姿がかわいくて、実津瀬は芹と共に目を細めて見つめた。
 午後からは父の実言に呼ばれて部屋で話をし、夜は下の妹弟たちも含めた全員で夕餉を食べた。その時には雨も小降りになっていた。
 朝は雨が上がり、青空が見ていた。都の大路はぬかるみ歩くのが大変だったが、実津瀬はいつもと同じように宮廷へと向かった。雨によって都の周辺では川の水が溢れて家が流されたといった被害の報告が上がっていた。実津瀬はそれをまとめる作業に追われた。報告のとりまとめの目途が付いたのは未刻(午後二時)を過ぎた頃で、そこから邸に帰り、夜には芹と一緒に寝ていたのだが、その夜は、束蕗原から蓮が行方不明になったことを知らせる使者が到着したのだった。母屋が騒がしく、芹と体を起こして何事だろうと訝しんでいるところに、五条の邸を取り仕切っている舎人の忠道が来て、両親の部屋に来てくれと言われてついて行くと、母の礼が半狂乱になって今すぐに束蕗原に行くと言って父の腕を振りほどこうと力いっぱい格闘していたのだった。事情を知った実津瀬は、父と一緒に母を説得して、朝を待ちすぐに母と数人の供を連れて束蕗原に発った。生憎、実言は都をすぐに離れるわけにはいかず、母一人を行かせるわけにはいかないので、実津瀬が一緒に行くことにした。仕事のことは父が手続きしてくれることになり、今日から四日間の休みをもらうことにした。
 束蕗原に着くと、蓮は発見されたが意識は戻っていなかったが、実津瀬が都に発つ間際に目を覚まし、話ができて実津瀬は待っているみんなに蓮が無事であることを報告するために都に戻って行った。
 邸に帰った実津瀬を、父、芹、榧、宗清、珊が囲んで、蓮の状況をさあ話せ、と目を見開いて見つめてくる。実津瀬が状況を話すと一番に。
「姉様、無事なのね!よかった」
 榧は叫んで、嬉し涙を流した。そんな榧の隣に座っていた父の実言は榧の肩を抱いて安堵の気持ちに寄り添ったが、実言自身も榧と同じ言葉を心の中で叫んでいたので、自分の気持ちを抑えるために榧の肩を抱いたのだった。
 実津瀬は次々となされる質問に全て答え、皆が聞くこともなくなったところでやっと解放された。それぞれが自分の部屋に戻るために立ち上がって簀子縁に出て行った時、舎人の忠道がやって来て実津瀬に耳打ちした。
「……桂様の使者が?」
「はい。これで三度目ですので、無下にはできません」
 忠道は顔を曇らせている。
「わかった……。明日、宮廷に出仕した後、桂様のお邸に伺う。父上にも話しておいておくれ。そして、明日の朝、桂様のお邸に使者を送っておくれ」
「承知しました」
 忠道が下がって行くところを芹は奥の部屋から見ていた。
 誰もいなくなって、実津瀬が奥の部屋へと入って来た。
「蓮が見つかって本当によかったです。あなたが帰ってくるまでお父さまをはじめみんなが心配し、祈っていたのです。蓮の無事を」
「皆の祈りが通じたのだろう。蓮に大きな怪我はなかった。しばらく寝ていなければならないだろうけどね」
 実津瀬は芹の向かいに座った。
「明日は……桂様のところに行かれるのですね?」
 芹は気になっていることを言わずにはいられなかった。忠道との会話が漏れ聞こえていた。
「うん、そのつもりだ。三度目となると……すれ違いになっているから仕方ないとはいかない。私からお訪ねして、お会いできなかったことをお詫びして、用件を聞かなければと思う」
 芹は頷いた。
 二度目の使者が来た後で、芹自身も心配していたことであるから、実津瀬が桂のところに自ら赴くことは仕方がないことだ。
 芹が気になるのは桂は何用があって夫を呼び出そうとしているのだろうか。
 対決が終わり、よいことに夫が勝った。それで、夫は一族の一員としての仕事に専念する気持ちになっている。確かに、舞の好きな桂姫にとって、舞談義の相手としてたまには実津瀬と話がしたいということもあるだろう。しかし、三度も訪ねてくるなんて何かあるのかと心配になる。
「ふう。蓮が無事でみんな安心したことだろう。こうしてみんなに伝えることができてよかった」
「お疲れでしょう。横になってお休みくださいな」
 芹は目の前に用意した褥を見て言った。
「うん。当然、芹もいてくれるだろう」
「淳奈が」
「淳奈は毎日芹と一緒にいたんだ。今くらい、芹は私と一緒にいてくれていいだろう」
 小さなわがままを言う大人に、芹は優しくしたいと思った。自分も実津瀬とは四日ぶりに会うのだ。淳奈と会わせてしまったら、淳奈が実津瀬を独り占めしてしまうだろう。今は二人の時間を大切にしようと思った。
 芹は自分の膝を夫の枕にして、夫が寝るまで他愛もない話をした。

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