塾が終わった後、本家の稲生と鷹野と一緒に帰ったが、本家の門の前で二人と別れるはずが鷹野は実津瀬から離れない。
「ん?どうしたの」
「実津瀬と話があるから、一緒に行く」
と鷹野が言う。
実津瀬は特に何も言わず、門の中に入る稲生に手を上げて別れ、鷹野と肩を並べて歩いた。
二人きりになるとすぐに鷹野は問うた。
「で、どうなったの?」
芹とのことに大変興味を持ってくれているのだ。
「……振られたよ」
「えっ!どういうこと?」
「また会いたいと言ったのだが、その女人は私とはもう会いたくないそうだ。須原様も考えられて、すぐ下に同じ母親の妹がいるのだが、代わりにその妹はどうかとおっしゃった。……私は須原の娘なら誰でもいいというわけではなく、芹という姉がいいんだ。だから、妹と会うのは断った。……芹が私と会う気がないというのだから、私は振られたのだよ」
「ふうん」
鷹野は余計な言葉は言わず、相槌を打つと黙って邸まで歩いた。
実津瀬の部屋へとあがると、鷹野は実津瀬に聞いた。
「それでいいの?実津瀬は、振られたでいいの」
実津瀬はむっとして言い返した。
「いいも何も、相手は会いたくないというのだから、どうにかできるものでもないだろう」
「うん、そうだけどさ。結婚相手としてこんな良い相手を振るなんて、あるかな?信じられない」
自分でもそう思うさ、と実津瀬は心の中で思った。
芹が言うように、芹は実津瀬のことが嫌い、気に入らないで拒否しているのではないのだ。ただ、純粋なのだ。自分の腕の中で亡くなった弟の無念さ、守ってやれなかった負い目で自分を縛り、牢獄とも言えるあの邸の中に閉じこもる覚悟なのだ。
実津瀬はそこから芹を救いたいと思っていたが、本人はそれを望んでいないのだ。望んではいけないと思っているのかもしれない。いずれにしろ、芹の強情な性格も手伝って、実津瀬との縁を切ろう切ろうとする。
「どうにかならないものかね」
「どうにもならんさ。鷹野、私の傷口をこれ以上広げないでくれよ」
実津瀬は言って机の上に向かった。
鷹野は踏集いで知り合った里との仲が順調で、その後は自分と里の話を延々として帰って行った。
それから六日後。
実津瀬はいつものように塾で学び、友人たちとたわいもない話をして、鷹野と連れ立って帰る。稲生は寄り道をすると言って、塾の前で別れた。
鷹野は先ほどまで話していた塾の友人の一人の恋の話をした。どうも、失恋をしたらしいのだが、沈んだ様子を見せずに笑っているのに驚いたという。
「そんな話をどこから仕入れてくるの?」
実津瀬が訊ねると。
「里が話していたよ。どうも、振ったのは里の知っている子らしい」
どこでどう繋がっているかわからない人の繋がり。自分達と同じような歳頃の男女の網目のような繋がりがあるものだ。
それに比べてあの人は……あの邸に籠って……
「ねえ、実津瀬。我々も寄り道をして帰ろう。こっちだ」
実津瀬は自分の思考の中に入ってぼんやりとして歩いていたところ、前を歩いていた鷹野が振り向いて言った。
「?寄り道?」
「そうだよ。帰ってもやることないでしょう」
癪なことを言うが、確かに今すぐ帰ってやることはない。鷹野に付き合うのも悪くないだろう。
肩を並べて実津瀬は鷹野と歩く。
「それでどこへ行こうっていうんだい」
そう訊ねても、鷹野は「いいから、いいから」というばかりで、行き先を言わない。
鷹野のやつ、どこへ連れて行こうというんだろう。
通りの両側に建つ邸を囲う高い塀を見上げて、誰のお邸だろうと考えながら歩いていると次第に見たことのある景色に、実津瀬はここは……と予感が走った。
「鷹野……」
「ん?」
「何を企んでいる?」
「企んでなんかいないさ。私なりの恩返しだよ」
この道は、須原家に続く道だ。須原家に連れて行くつもりなのだろうか、と実津瀬は鷹野の企みを怪しんだ。
「ここで待とう」
鷹野の言葉を疑問に思いながら、実津瀬は空き地になっている区画に立ち入った。
この先を行けば芹が住む須原の邸があるのだが、ここに留まるとはどういうことだろうか。
「ここいらはたくさん空き地があるものだね」
鷹野はあたりを見回し、見たままの感想を言って暇な時間をつぶす。実津瀬も鷹野と同じ方向を向いていたけど、一体このような無為な時間をどれだけ過ごすのかと、思っていると、鷹野が顔を上げて通りの方を向いた。実津瀬もそちらを向くと、一人の男がこちらに向かって歩いてくる。男だけかと思ったら、その後ろに明るい色の衣装を裾が見える。目を凝らすと、重なったり横に広がったりと動いている二人の女人が見えた。
一人は芹で、もう一人は妹の房だ。
実津瀬は振り返り鷹野を見た。その鷹野は明後日の方向を見ている。
「これはどういうことだ、鷹野」
実津瀬は意図的に怒ったような声を出したが、腹の中では笑っていた。
怖い声を出しているが、本気ではないことをわかっている鷹野はにやりと笑った。
「私も間者を使って、あの手この手をやったのよ」
どんどんこちらに近づいてくる三人を見て鷹野は言った。
鷹野から間者という言葉を聞いて、岩城一族はこのくらいの歳からあれやこれやと策略を練り間者を扱っていくものなのかと考えた。自分もぼうっとはしていられない。
「そうか、なんだが鷹野だと癪だが、今回は素直に感謝する」
と言って、実津瀬は通りに立ち、向こうから来る三人を迎えた。
最初に従者が通りに立つ男に気づいて、身構えた。それに気づいた房が後ろから言った。
「大丈夫よ。あの人たちは知り合いよ」
房の言葉に芹は従者の後ろから顔を出した。向こうに立っている男の姿が目に入ると、芹は驚いて両手を口へ持って行った。そして、身を翻して邸に戻ろうとした。
そこに房が姉の右手を掴んで止めた。
「姉さま、待って」
「……房!」
「もう一度くらい、お話したら……ね」
房の言葉でこの外出の目的は、これだったのかと芹は理解した。
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