New Romantics 第一部あなた 第三章6

小説 あなた

 曲が終わると、女人は池のほとりに座り込んだ。実津瀬も、笛を胸に閉まって女人の左隣りに腰を下ろした。女人は実津瀬の行動に驚いたようで、その身を少し右に寄せた。
 そんな動きが女人は姉妹だけで身近の男は父親だけのように感じさせた。
 しかし、実津瀬が隣に座るのが嫌というわけではないようで、両手を胸と立てた膝の間に入れて身をすぼめて、池の方に目をやっている。
「あちらの輪には加わらないの?」
 実津瀬が訊ねた。
「……その質問は、そのままお返ししてもいいかしら?」
「あはは、そうだなぁ。二人でここにいるのだから……。私は従兄弟の付き添いだ。一緒に行こうと誘われてね。気は乗らないのだけど、無理やり連れて来られている。あなたは?」
「同じようなものです。妹と一緒に。父が邸に閉じこもっている私を怒って、必ず妹と一緒にこのような集まりに行かせるの。でも、私は全く興味がない。父の手前、邸にいるわけにはいかないからこうしてここまでは出てきているけど、あの輪に加わるのは気が乗らないから、離れて彷徨っていたらこの池を見つけた。ここはとても景色のいいところ。爽やかな風が吹いて気持ちいい」
 女人は顔を空に向けた。緩やかな風を感じているようだ。
「私たちは同じような気持ちなわけだ。興味もないのにこのようなところに来て、ここで暇をつぶすのに何か楽しみはないかと彷徨ってこの池のほとりに来た」
 女人は返事をすることはなく、池の向こう岸へと視線を向けている。
 そこで、実津瀬は女人の横顔をそっと眺める。
 正面をまっすぐ見つめる目が伏し目になって、まつげが長い影を作った。今日は髪を全て上げて、二髻に結っている。それで、横顔のほっそりとした頬が全部見えた。明るい藍の上着に鴇色の裳の組み合わせが淡い明るい色ばかりを身にまとう若い娘とは違う気がした。
 少し年上かな?私と同じくらい?
 実津瀬はそんな予想をした。自分と同い年くらいの女人は、だいたい相手が決まっているから、このような集まりに来ることは少ない。そういったこともあって、この女人は集まりに積極的ではないのかもしれない。
「踊ることが好きなの?」
 実津瀬が訊ねると。
「そうね……笛や太鼓の音を聞くと、体が動きたがるの。ここまでは誰も来ないと思っていたから、好きなように踊っていたわ。それを見られていたかと思うと、恥ずかしくて……」
 袖が長いためか両手を頬にやっても手が隠れている。女人は言って下を向いた。
「私は笛をやっているけど、舞もやるのだ。でも、最近は舞をする気が起きなかった。あなたが楽しそうに舞っている姿を見ると、私も舞を始めた頃の幼い記憶がよみがえって来て、また舞いたくなった」
「そう……あなたは笛がとてもお上手ね。だから、それと同じくらい舞もお上手なのでしょう」
 女人は言った。
「どうかな……皆は褒めてくれるけど」
「やりたいという気持ちが出たということはいいことではないですか。それは、あなたがそうしたいと思ったのかかもしれないけど、もしかしたら天があなたに舞を舞って欲しいと願ったのかもしれないわ」
 実津瀬は驚きを持って、隣を振り向いた。言った女人は立てた膝に顔を埋めて、目だけ出して水面を見つめている。
 へえ、面白いことを言うものだ。
 天が私に舞わせたいか……。
 そんな壮大な力に導かれて舞うのも悪くない。
 実津瀬はこの女人に興味が湧いた。でも……。
「……余計なことかもしれないが、あなたには妹がいるのだろう。この集まりで、妹にはよい相手は見つかったのかい?」
「妹……そんなこともご存じなの?」
 女人は、実津瀬の方へ顔を向けて顔をしかめた。盗み見の次は盗み聞きの疑いを持ったのだろう。
「池のほとりのあなたを迎えに来た女人が、姉様と呼んでいたのが聞こえたのだ」
「そうなの。妹に……声を掛ける男の人はいるようよ。かわいい子ですもの」
 胸の前で手を合わせて、祈るような仕草をした。
「そうか。私の従兄弟も、気になる子がいてね。今、一生懸命に気を引こうとしているところさ。それが叶えば、もうここに来ることもないと思う」
「まあ、それは良かったですわね。あなたの自由な時間が取れるわ。それこそ、舞を舞う時間ができる」
 女人は実津瀬の方へ再び顔を向けたが、この時はほのかに笑い顔を見せた。
 正面から見た笑顔の女人は、盗み見や盗み聞きを咎めるときの厳しい表情とは一転して、柔らかい表情だった。
 実津瀬は慌てて言った。
「従兄弟の恋がうまくいったらの話だよ。どうなるかはわからない」
「では、私もその従兄弟の方の恋がうまくいくように祈ります。そうすれば、あなたは興味のないこの集まりから解放されるのでしょう」
「あなたは?あなたはいつになったら、この集まりから解放されるの?妹の相手が見つかったら?」
「さぁ、どうかしら?お父さまが私に愛想をつかしてくれたら終わるのかもしれないわ」
 女人は背筋を正し、真っすぐ前を向いて言う。
 すると、後ろから「ねえさま~」と呼ぶ声がして、実津瀬と女人は同時に後ろを振り向いた。
 向こうから一人の女人がこちらへと歩いてくる姿が見えた。
 隣の女人は立ち上がり、裳についた土を振り払った。実津瀬も一緒に立ち上がる。
「姉さま!」
 妹は近づいて姉に呼びかけたが、隣に男の姿を見て驚き、立ち止まった。それを見て、姉は説明した。
「こちらの方は池のほとりで出会ったの。私たちと同じ集まりに来ていらっしゃる方よ」
「まあ、そうなの」
 妹は姉の元に駆け寄り、姉の左腕に自分の腕を回した。
「では、失礼します」
 姉は、妹の手の甲に自分の右手を乗せると、実津瀬に背中を見せて広場の方へと歩いて行った。妹が姉の耳元に口を近づけている姿が見えて、実津瀬は自分のことを言っているのだろうと思った。
 しばらく二人を見送ると、実津瀬は池に向いて背伸びをした。
 ああ、なんだか体をムズムズする。あの女人が言ったように、私の内側から湧き出るものに動かされるのか、目に見えぬものに操られるのか、それはわからないがどちらでもよい。今は、ただ前と同じように舞いたい気分だ。
 そして、実津瀬は下に降ろしている右手を斜め上まで上げて、頭の中で鳴る調べに沿って、体に沁み込んだ型を舞った。久しぶりだというのに、体の動きは思ったより良く、気持ちよく舞えた。
 ひとしきり舞って、実津瀬は広場へと戻った。多くの人は既に帰り、まばらに人の輪があった。
 鷹野はどこだ?と実津瀬はきょろきょろと見回すと、木の陰に里を囲うように立って、親密に話している。
 ほう、何とか出来上がったかな。
 実津瀬は、楽団が楽器を布に包むのを手伝っていると、鷹野が近寄ってきた。
「あれ、あの子は?」
「友人だという他の二人とともに帰って行ったよ」
 実津瀬は鷹野と連れ立って邸に帰る道すがら。
「鷹野!」
 心なしか足が軽くなって、実津瀬の前を歩く鷹野に実津瀬は声を掛けた。
「ん?」
 頭だけを動かして返事をした。
「私の働きはどうだったかい?お前を悪く言ったようでその実は、あの子にお前のいじらしさが知れたのではないか?自分のことを尊重してくれる優しい男のように言っていたぞ」
「おお、そうだ。実津瀬のおかげだ。あの後、里は実津瀬が言ったことを露ほども思っていないと言ってくれて、私のことをどう思っているかを話してくれたよ」
「へえ、なんて?」
「……」
「ん?聞こえないぞ」
「そんなこと、言うわけがないだろう!」
 鷹野は振り向くと大きな声を出した。
「その様子じゃあ、嬉しいことを言われたようだな。で?今後の展望はどうだ?」
「……もう、あの集まりには行かない」
 鷹野は消え入りそうな声で言った。
「ふぅん、では、里は踏集い以外に外で会ってくれると言ったんだ。よかったじゃないか」
「うん。実津瀬を無理やり集まりに連れて行くことももうないよ」
 実津瀬と肩を並べて歩く鷹野は、体の中の喜びが顔に出ていた。その横顔を盗み見て、自然と実津瀬も微笑んだ。

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