New Romantics 第一部あなた 第三章2

小説 あなた

「実津瀬!」
 実津瀬は部屋から庇の間に出てきた。階の下には鷹野が立っていた。
「わかっているよ、行くよ!」
 実津瀬は階を下りて沓を置いた。
 鷹野は早く早くと実津瀬をせかす。
 今日は、都の東北にある山の山中で行われる踏集いに行くことになっていた。
 踏集いとは、都の若い男女が歌をうたったり、踊りを踊ったりして気の合う人を見つける出会いの場となっている。
 鷹野は女人との出会いを求めて積極的に参加しているが、一人は寂しいと実津瀬を誘う。しかし、実津瀬は嫌がってその誘いには乗らなかったが、あきらめずに鷹野が頭を下げて一緒に行こうというので、ついに行くと言ったのだ。
 鷹野は実津瀬の心変わりに喜び、またいつ行かないと心変わりしてはいけないと心配になって、こうして迎えに来たのだった。
「最近の実津瀬は、部屋にこもってばかりだ。こういった集まりも嫌いじゃないだろうに。やっと出てくれる気になった」
 鷹野は飛び跳ねんばかりに実津瀬の腕を取って、近い裏門へと連れ立って歩く。
 実津瀬が行く気になったのは、鷹野がいうように部屋にこもってばかりではいけないと思ったことと、父の実言も外に出なさいと言ってきたことだった。宮廷の見習いの仕事は責任を持ってやったが、舞の練習はやめている。
 まだ、気が乗らないけど……ずっとこんな引きこもった生活をしているわけにもいかない。蓮や小さな妹弟たちが相手をしてくれるから邸の中では元気な姿を見せているが、邸の外にも気持ちを持っていかなくてはいけないと、考えたからだった。
「鷹野は誰が気になった女人がいるの?随分と熱心に集まりに通っている」
「可愛らしい子がたくさんいる。だから、誰と選べないんだ。どうしたものか」
「なんと気の多いことか」
 実津瀬は道すがら鷹野の気持ちを聞き出す。何とか三人の女人に絞れたが、一番は誰かと問われるとすぐに名前を言えない。三人を思い浮かべて、あの子はここが、その子はあそこがと気に入ったところがあって、結局選べないのだという。
 実津瀬はあきれ顔で並んで歩く鷹野を見たが、鷹野は真剣な顔で語っている。
 集まった男女は輪になって歌を歌い、輪の中心に飛び出した男女が二人で踊る。その時に握った手の感触や近づいた時に囁いて、気持ちを伝える。気が合えば、二人輪から離れて山や林の中に消えていく。
 いつも鷹野はどの子に囁こうか、誰の手を握った時にぐっと力を込めて気があることを示そうか、それを決めかねて当たり障りなく踊って輪に戻って来るのである。
 実津瀬は輪の中には入らず、踊りにつける音楽を奏でる楽団の端に座って、懐から出した笛を吹いた。
 舞手の実津瀬の名と顔は売れていて、集まった女人たちから熱い視線が送られた。
 なぜ、実津瀬は輪の中に入らないの。入ってほしい。そして、輪から飛び出して二人で輪の中心で踊ることができたら、自分から実津瀬に二人きりで話がしたいと囁こうと思うのだった。
 実津瀬はそんな多くの女人たちの気も知らず、その体を楽団の演奏者の後ろに隠している。
 次に輪の中心へと進み出たのは鷹野だった。反対側からはじき出されるようにして一人の小柄な女人…見た目は少女のように見える…が鷹野の前に立った。鷹野が少し顔を俯けて照れているような顔なので、実津瀬はこの人が道すがら話していた決められない好きな女人の一人なのだろうと分かった。決められない複数の中から、何かの縁で、この女人が今日最初に鷹野の前に進み出ることになったのだ。鷹野も何か運命を感じて、決められない気持ちが決まることはないだろうか。
 実津瀬は鷹野が女人に手を差し出して、その手を握る様子を見届けると後ずさりして樹の陰に身を隠した。
 これから先、鷹野がどうするのかはわからない。鷹野のお守なんてごめんだ、と実津瀬は一人その場から離れた。離れながらも、笛の演奏は止めない。ゆっくりと歩きながら笛を吹く。樹々が立ち並ぶ木立を抜けて奥の山へと歩いて行った。
 別に何か当てがあるわけではないが、一人になりたかった。幸いに遠ざかっても音楽は聞こえてくる。それに合わせて笛を吹いていれば、独りぼっちということもない。
 歩いていると、樹々の間から水面が見えた。
 ああ、池があるのか……
 実津瀬はそこまで行ってみようと目標を決めたところで、池の淵を横切る影が見えた。
 なに?人?
 実津瀬は立ち止まり、様子を窺っていると再び横切る影が現れた。笛から口を離してじっと目を凝らした。
 影は女人のようである。どうやら、遠くから聞こえてくる音楽に合わせて踊っているのだ。それは型にはまったものではなく、自由に思うがままに右に左にと腕を振ったり体を移動させたりといった感じである。
 もしかしたら、自分と同じような人だろうかと、実津瀬は思った。誰かの付き添いで一緒に来た、この集まりに全く興味のない人。
 一人で音楽を楽しんでいるところを邪魔してはいけない、と実津瀬は見つからないように横に移動して、女人から離れた。笛の演奏は止めることなく、実津瀬は樹々の間を抜けて、池の反対側、女人と池を挟む位置へと落ち着いた。池を背にして樹の幹に体を預けた。そして、ゆっくりと後ろを向いて、樹の陰から池の向こうを覗き見た。
 女人は両手を広げてその場でくるくると回転している。
 池の水面に女人のまわる姿が映って、幻想的な景色が広がっている。
 思うままに舞う姿は、楽しそうで盗み見ている実津瀬は興味が湧いた。
 とても長い時間回転していた女人は、曲の途中ではあるが尻もちをつくようにしゃがみこみ、ばったりと後ろに倒れた。
 実津瀬は草に埋もれて姿の見えなくなった女人から目を離し、前を向いて笛を吹き続けた。曲が終わると笛から口を離し、再び振り返って幹から顔を出した。
 寝転んでいる女人の腕が見えた。寝転んだまま手を空に向かって伸ばしているのだ。
 それから次の曲は聴こえてこない。これで、今日の集いは終わったということだろうか。
 実津瀬は幹に寄りかかって待った。
 すると、遠くから女人の声が聞こえて来た。耳を澄ますと。
「ね~さま~」
 と聞こえた。
 姉さまか。ということはあの女人は妹の付き添いとしてついてきて、ここで暇つぶしをしていたということか。
 実津瀬はまた幹の陰から池の向こうを盗み見た。
 池の傍には妹だろう、一人の女人が立っており、その傍でちょうど上半身を起こした女人がいた。
 二人の距離が近いから大きな声を出す必要がなく、実津瀬のところまでその会話は聴こえてこない。
 妹が差し出した手につかまって姉は立ち上がった。そして、二人で集合した広場に向かって歩き出した。
 実津瀬は同じ背格好の女人二人の背中をしばらく見送ってから前を向き、幹に体を預けて少しばかりぼんやりとした。
 なにも考えない時間。
 そして、我に返ったように立ち上がると、池の傍を通って姉妹が歩いて行った方へと向かった。皆が輪になっていた広場の手前で鷹野がこちらに歩いてくるのが見えた。
「実津瀬!どこに行っていたのさ」
「少し森の方を探索していたよ」
 そう聞くと鷹野は失望したような顔をした。
「鷹野が輪の中心に進み出たのを見たよ。反対側から出てきた女人は鷹野が気にしていた子だったのかい?」
 鷹野は頷いた。
「それで?」
「輪が解けた後に、少し話すことができた。小さな声で話す子で、よく聞き取れなくて何度も聞き返してしまったよ」
「小さな声は、お前と話すのが恥ずかしかったからじゃないの?かわいいじゃないか」
 実津瀬が言うと、鷹野はあの女人、石川家の里という子のはにかんだ顔を思い出した。
「きっとお前と話すのに緊張したんだよ。女人は家の男以外と話す機会も少ないだろうからね」
 実津瀬と肩を並べて歩き出した鷹野は実津瀬の言葉をいいようにとらえて、あの里という子も、自分のことを意識しているのかと思った。脈があるかもしれない。
 ぶらぶらと邸に帰る途中、実津瀬は池の傍で舞っていた女人とその妹はどのような人たちだろうか。何度かこの踏集いに参加している鷹野なら、姉妹らしき二人組はどこの邸の娘だろうかと、聞けば案外知っているような気がした。
 でも、集まりに興味はないのに鷹野が懇願するからしぶしぶついて来たという自分が、気になる人を見つけたとなれば、鷹野が黙っていない。面白がって、いろいろ聞いてくるだろう。それに、自分と同じように付き添いをしている姉に少し共感をしただけのことだ。
 実津瀬は鷹野が手を握り合った里という女人に次こそは誘って、もっと話をすると意気込む言葉を聞きながら、本家の邸まで戻りそこから自分の邸へと一人歩いて帰った。

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