蓮は衣装の色合わせを母と妹の榧と一緒にやった。ああでもないこうでもない、と夏の暑い日に涼しげな気持ちになる組み合わせを考えた。景之亮と最初に会う時は、装飾品もたくさん付けて、髪も凝って結ったが、もう知らない仲ではないので、こてこてとした装飾品や髪型もしないことにした。
薬草作りの汚れた仕事着姿も見られていることであるし、変に着飾って会わなければならないこともない。
それに、これはお見合いをした二人の今後を問いただす場である。挨拶が終わって直ぐに、どちらかが、もしかしたらどちらもが、この話はなかったことにしたいと言った場合、即座に部屋から出て行くであろう。何を着ているかなんて、見ている暇もないはずだ。
当日、蓮は白の上着に薄い青の背子を着た。裳は濃い青で、帯は白と黄色の二色で織ったもの。髪は半分を頭上二髻に結って、母から借りた髪留めを挿し、残りの髪を垂らした。
母と侍女の曜に手伝ってもらって化粧を終えて、部屋の机の前に座って父から呼ばれるのを待っていた。
父が言うように心の整理は着いた。そして、答えは決めている。振り返るとその答えに辿り着くのに、迷うことはなかった。後は、どんな言葉で伝えたらいいのだろうかといろいろと考えを巡らせた。
蓮はいつ、誰が自分を呼びに来るだろうか、と耳をそばだてている。
何やら、実津瀬の部屋が騒がしい。
思えば、父実言は敵の中に実津瀬を飛び込ませてから、敵を倒す計画を立てた。それは、景之亮という男を引き入れ、実津瀬を守らせたことでできたのだ。景之亮は実津瀬を追う敵を弓で射、剣を振り上げて襲って来る敵を己も鞘から剣を抜いて迎え撃ち、倒したのだ。
そんなことを、当の実津瀬は知る由もないが、実言は実津瀬を景之亮に会わせないわけにはいかない。今日、実津瀬を景之亮と会わせることを考えたのだ。
蓮は実津瀬と景之亮の話が終われば、次は自分かと居住まいを正して、今か今かと待っているが、簀子縁には誰の足音も聞こえてこない。
蓮はじっとして待っていられなくなって、机の上の本を開き、箱を開けて筆を取り出した。
さあ、写本の続きだ、書こう、と前屈みになった時に、簀子縁から足音が聞こえて来た。
庇の間に現れたのは、実津瀬だった。
「待たせたかな……。鷹取殿といろいろと話し込んでしまってね」
蓮は筆を置いて、立ち上がった。
「そうね。でも、実津瀬を守ってくれた方だもの、実津瀬も話したいことがあるでしょう」
庇の間まで出てきた蓮に実津瀬は左腕を出すと蓮が肘の内側に右手を置いた。くるりと向きを変えて、簀子縁へと一緒に出た。
「途中まで行こうか。今日の衣装は、すっきりとしていいね、涼やかな気持ちになるよ」
「昨日、お母さまと榧と選んだのよ」
「そう。髪も決めているね。きれいだよ」
兄にそう言われて、蓮は照れた。
「では、またあとでね」
実津瀬は父の待つ部屋と自分の部屋とに別れる渡り廊下の手前で立ち止まり、言った。
蓮は実津瀬の腕から手を下ろして、頷いた。そして、一人で渡り廊下を歩いて行った。簀子縁の最初の角を曲がると、その先の角の前に長く父に仕えている舎人の渡道が立って待っていた。
「どうぞ、こちらに」
蓮は渡道の後について、一歩一歩と景之亮の待つ父の部屋へと近づいて行った。
実言と景之亮がいる部屋は庇の間には御簾が下ろされていて、すぐには中の様子は見られなかった。渡道は部屋の正面の巻き上げたままの御簾の前まで来ると振り向いて、蓮に中にどうぞ、と手で示した。
蓮は少しばかり頭を下げて、二髻に結った頭が巻き上げている御簾に当たらないように気をつけて庇の間に入った。背中で音がして、振り返ると渡道が簀子縁の方から御簾を留めていた紐を解いて下ろしていた。
蓮一人が、庇の間に入ったということだ。
蓮は静かに深呼吸をして、ゆっくりと奥の部屋に進んだ。几帳が立ててあって、すぐに景之亮の姿は見えない。几帳の前まで来ると、奥にこちら向きに座っている父の顔を見えた。
「蓮、待たせたかな?」
手招きされて、蓮は几帳の中へと入った。父の手が自分の斜め前に敷いてある円座を指していて、そこへ座った。左に人の気配を感じて、顔を向けると下向いて座っている景之亮がいた。几帳の陰になっていてそれまで全く姿は見えなかったから、景之亮は別室に待たせているのではないかと思っていた。
「いいえ、ちっとも待ってなんかいませんわ」
にこにことして人を食ったような顔の父に、待ちくたびれていた蓮は強気の返答をした。
「そう?ならばよかった。では、話を始めようか。今日、景之亮にも来てもらったのは、私が二人を引き合わせて、結婚相手としてどうかと勧めたわけだけど、ずるずるといつ熟すともわからない果実を待つほど私も気が長くないのでね。ここらで区切りをつけたいと思ったわけだ」
実言の言葉に、景之亮は下げた頭を一度上げてまた下げた。蓮はじっと父の顔を見つめていた。
「で、二人にこれからどうしたいかを聞きたいわけだ」
と実言はもったいぶって溜めた。
「蓮、答えを出してくれたかね?」
蓮は頷いた。
「そう、では、聞かせてよ」
「……は、はい……」
蓮は景之亮から訊かれるものと思っていたから、まさか自分からとは思わず内心焦ったが、どのみち答えることには変わりない。ここでも、小さく息を吸って吐いた後、小さな声が出た。
「……わ、私は……」
かすれた小さな声に、自分がとても緊張しているのだと気づいた。
咳払いをして、蓮は仕切り直しと言い直した。今度は、はっきりとした言葉に、声が出た。
「私は……この先も鷹取様と一緒にいたい……ですから……つまり、傍に置いて、…妻に……していただきたい……わ」
でも、最後の方は、どのような言葉を使って自分の気持ちを伝えたらよいかわからなくなって、尻つぼみに小さな声になった。
「そう!」
実言はひときわ大きな声で相槌を打った。そして。
「聞いたかい、景之亮!私が思った通り、二人は相愛の仲になったわけだ!」
と言い放った。
それを聞いて、蓮は少し離れたところに下を向いて座っている景之亮に振り向いた。
景之亮も顔を上げて、実言を見、その顔を自分の左に座っている蓮の方に向けた。
二人は同時に互いの顔を見合った。
「蓮!景之亮も、できることならお前を妻にしたいと言ったよ。謙虚な男だから、自分の容姿が気に召さないだとか、家柄がどうのと選ばれなかった時の言い訳を並べていたけどね、私の娘はそんなものだけしか見ない者ではない、と言ったのだけどね。私の言葉を否定してばかりだった。でも、本心は蓮を欲しいと言ったのだ。ほら、景之亮、私の娘を見損なっては困るよ」
と口を大きく開けて笑っている。
「ああ、私は嬉しいよ。私が見込んだ男と私の娘が結婚したいと言ってくれて。そうなったらいい、と思っていたけど、それが叶ったのだ」
実言はそう言うと、立ち上がった。
蓮は父が立ち上がったので、自分も中腰になった。
「こんな嬉しいこと、早く礼に教えてやりたいから、私は失礼するよ。後は、二人でお互いの気持ちを言い合ったらどうだい。人払いしておくから、何も気にせず話したらいい」
そういって、すたすたと庇の間に歩いて行った。外で待っていた渡道が正面の御簾を上げるとそれをくぐって簀子縁に出て行く。
そして、実言と渡道の足音が簀子縁をぐるりと回って遠ざかって行った。
景之亮と二人だけにされた蓮は、これからどうしたものか、と思案した。合った視線を落として、膝の上に置いた手の甲を見つめた。すると、衣擦れの音がした。景之亮が立ち上がって、こちらに近づいてくるのが分かった。蓮は心の臓がどんどんと打つのを感じて、これから景之亮はどうするのだろう、と思った。
景之亮は蓮の前に座って、下を向いている蓮の姿を見つめた。
「……蓮殿……」
景之亮はやっとのことで、蓮に呼び掛けた。
蓮はその声を合図に顔を上げて景之亮を見た。
「…その、私で…本当に私でいいのですか……。私は……あなたの好みではないでしょう」
景之亮はそのような弱気を言った。
「まあ……鷹取様、そんなことをおっしゃるの」
「あなたは若くて……美しい……こんな年上のみすぼらしい男の相手にならなくてもいいのですよ」
「……では、鷹取様が断ってくださればよかったのよ。なぜ、断ってくださらなかったの?父も遠慮は無用と言っていたのではないですか?断ったからと言って、父は鷹取様への信頼を無くしたりしないわ。そんなことで鷹取様のこれまでの働きがなかったものにはならないわ」
景之亮は蓮の言葉にすぐには返答できない。代わりに蓮が言葉を紡いだ。
「……私は、あの夜から寝ても覚めても鷹取様のことばかり考えてしまって……これは恋だと気づいたの。傍にいたいという気持ちが大きくなって……。鷹取様の方こそ、私のこと鼻持ちならない娘だと思われたのでは。私、初めてお会いしてからあの夜の前まで、鷹取様に気の利いたお話はできていませんでしたから。面白みのない娘だと思われたと思っていました」
「そんな……。私は、蓮殿と初めてお会いした時から、一目見た時から可愛い人だと……私にはもったいない人だと思っていました。会うたびに、多くを話さずともその可愛らしい優しい人柄に気づきました。そして、あの夜。あなたの好奇心や度胸に感心しました。私の失敗を助けてももらいました。とても危険な目に遭わせてしまったけれども、言ったとおりにあなたを守れた」
「そうだわ!腕の傷はどうですか?私のせいで腕に傷を負ってしまった。鷹取様を看病するつもりが、寝てしまってその後、今日まで会えずじまいでしたもの」
「ええ、もう大丈夫ですよ。礼様から良いお薬を届けていただきましたし、お医者を遣わしてくださいました」
蓮はほっとした顔をした後、にっこりと笑った。それにつられるかのように景之亮も目尻を下げる。
「蓮殿……」
「……もう、私の名を呼び捨ててくださいまし。……親しみを込めて」
それを聞いた景之亮は少しの沈黙の後。
「蓮」
と呼びかけた。
頭上から降ってきた自分の名前を呼ぶ声に答えるために、蓮は顔を上げて答える。
「鷹取……」
と言いかけて、止まった。景之亮が何か言いたそうに口を開けかけたのを見てはっとしたのだ。
ああ、私も間違えているわ。
「景之亮……景之亮様」
と呼んだ。
景之亮の黒い顔の引き結んでいた口がほころび破顔した。
景之亮の手が伸びて、膝の上の蓮の左手を覆った。親指以外の指が蓮の手の内側に入って、親指が蓮の指の背をゆっくりと撫ぜる。
蓮は景之亮の指の動きを心地よく感じていると、急にぐっと手を握られた。
あっ、と思った時には手を引かれて体は景之亮の方へと倒れて、その胸に顔を伏した。
夫沢施の館で出会った夜では、景之亮と手を握り合い、何度抱き締められたことだろうか。しかし、どれも恋情のあるものではなかった。使命を全うする気概に満ちた気迫と落ち着きで蓮を守ってくれたのだが、今は、異国から海を渡ってきた白い磁器を持つようにそっと細心の注意を払って抱こうとしている。
蓮は自分から景之亮の胸に頬を押し付けた。
そうしたら、景之亮の心の臓の音が聞こえた。とても速く打っている。
夫沢施の館の夜、敵をやり過ごすために低木の茂みに二人寝転び、身を隠した時に景之亮の胸に抱かれてその音を聞いた。その時は、危険な場面なのに景之亮の心の臓はとてもゆっくりと打っていたというのに。
今は何も危険なことはないというのに、どうしたのかしら?
蓮は、景之亮の胸から顔を上げた。顎を胸につけて真っすぐに上を見上げる。そこには景之亮が真っすぐ下を向いて、蓮を見つめていた。
「ああ、愛しい人……。心から私は嬉しい」
こんな言葉を好きな人から言われるなんて……。好きな人から言って欲しくて言って欲しくてたまらなかった言葉だ。
景之亮の言葉に、蓮は内側から震えた。そして、涙が滲んできそうになったので、景之亮の胸に顔を伏せた。それを合図に、景之亮は蓮の体を持ち上げて膝の上に載せ、力強く抱き締めた。
蓮も景之亮の脇から背中に手を回して、抱きついた。
ああ、嬉しい。私もこんなに嬉しいことはない。景之亮様と同じ気持ち。
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