Infinity 第二部 wildflower60

バラ 小説 wildflower

 追いかけて、追いかけて。毎夜、息を切らして最後には倒れるまで追いかける執着。
 今日は捕まえられそうなほどしっかりと女の後ろ姿を追っている。
 白い肌の女。
 ああ、誰だろう。捕まえて、お前は私のなんなのだと、問いたい。
 艶やかな黒髪の女。
 女の姿は遠くなったり、近くなったりする。近くなった時に、女の顔が見えそうなのに、すんでのところで、耳丸の手をすり抜けて遠くへ行ってしまう。
 自分は誰を追っているのか、今までに出会った女なのか、それともまだ見ぬ未知の女なのか。
 待ってくれ、なぜ逃げるのだ。逃げなくてもいいではないか。
 耳丸は本気で女を追いかけた。必ず捕まえると決めて、走った。
 そうするとぐんぐん女に近づいて、逃げ切ろうとする女の右手を掴んだ。そして、その手を思い切り自分の方に引くと、女は観念したように、振り向いた。その女の右顔が現れて、そして正面を向いた。
 女の顔を見た。その女の左顔は。
「……耳丸?」
 耳丸は途中から夢だとわかった。自分は夢の中で女を追っているのだと。そして、体を揺すられて、目を覚ました。
「どうしたの。うなされていたよう。汗もかいて」
 その声が誰のものか、一瞬忘れてしまった。
 それは、夢の中の女が、現実に今、目の前にいたからだった。左目に眼帯をした女が。
 自分が追って追って、飽きぬ執着を見せていた女は、この女だった。
「…………」
「傷が痛むの?」
 礼は、手ぬぐいを耳丸の左こめかみに当て、汗を拭いてやった。
「苦しい?」
 礼は心配そうに、耳丸の顔を覗き込んだ。
 耳丸は礼が自分に伸ばしたこめかみの上にある手を握ると、自分の胸に下ろした。
「傷?やはり、傷が痛むの?」
 礼はますます不安な顔になり、耳丸に近づいた。耳丸は握った礼の手を自分の方に引いて、礼を引き寄せた。簡単に礼は耳丸の胸の上に倒れこむ。
 礼は、驚いて耳丸の胸の上から耳丸を見上げた。
 耳丸は素早く礼の両頬を掴むと、その顔を自分に引き寄せて、口を吸った。
 礼の柔らかな唇の感触を感じて、その奥の唇の中に入ってより深く吸いたいと思った。
 礼から唇を離し、顔を見ると、礼はまっすぐに耳丸をみつめている。一つしかない目が見開かれて、驚きを隠せないでいる。
 そして、礼は右目から一筋、涙をこぼした。
 耳丸はたまらず、挟んだ礼の両頬を引き寄せた。礼は右目を閉じて、耳丸の胸に置いた手で、上衣の襟を強く掴んだ。
 再び礼の唇を塞いだ耳丸は、もっと深く礼を求める。
 礼は、口をつむったままだが、それは必死の抵抗のようでもあり、躊躇の間のようでもあった。耳丸の礼に重ねる唇は執拗に上唇や下唇を吸っているうちに、礼の閉じた唇は綻び始めて、耳丸はその中へと入っていった。
 強く激しいその口づけは、礼のことなどお構いなしに力でねじ伏せて奪うものだった。
 やっとのことで礼から離した唇は、やはり離しがたく、もう一度礼の唇に重ね、強く吸った。吸いながら、耳丸は起き上がって礼の体を自分に引き寄せて、腕の中に閉じ込めた。
 ああ、こんなふうにしたいのではない。力でねじ伏せて、自分の思うままに奪いたいのではない。この女とは、もっと深く、暗いところで思いを結び、わかり合った心で、交わりたいのだ。礼の唇から離れた耳丸の唇は、その息を止める強さで日焼けした礼の喉を吸った。それから下へと下りて、礼の胸へと来た。何度も洗濯して黄ばんだ単の衿を広げてその奥へと進む。日に焼けていない肌着に隠れたその肌は白く、柔らかい。耳丸は礼の乳房へ唇を押し当てて、吸った。
 耳丸は寝ていた干し藁の上に礼を横たえさせた。耳丸の手が緩んだ時に、礼は身動きした。それは耳丸から逃げようとしていると思って、耳丸は慌てて礼の上に覆いかぶさり抱いた。
 耳丸は勢い余って、礼の右顔に顔がぶつかる。額が礼の右頬にあたりを擦るようにして頬と頬を合わせた。口からは、荒い息が漏れるばかりだ。
 体を求めるのは、礼を弄びたいわけではない。言葉で伝えたいと思っているのに、その言葉を持たない。どう説明したらいいいのかわからない。これまで礼に、その顔を揶揄する酷い言葉は投げつけてきたが、この感情を伝える言葉は出てこないのだった。
「……ああ」
 何かを言わなくては、と思うのに、出るのはため息ばかりだった。
 だというのに、耳丸の手は動いて、礼の腰の帯に手をかけて引いていた。裳の裾を引き上げて、露わにした礼の太ももに手をかけて、足を開かせていた。体を起こして、左手で礼の太ももを抑えて、右手で自分の袴の紐を解いた。開かせた足の間に自分の体を入れて、覆い被さり礼の腰に腕を回して、自分へと引き寄せた。
 礼は腕を突っ張って耳丸から離れようと少しの抵抗をしたが、耳丸に手首を握られて、押さえ込まれた。
 耳丸は、きつく握った礼の手首の力を緩めた。
 力によって征服したいのではない。体の奥底から湧き上がってくる思いによって、お互いを求め合いたいと思うのだった。だから、言葉で説明はできなくても、少なくとも態度では礼にわかってもらいたいと思った。ただ肉体の欲望のままに、こんなことをしているのではないということを。
 そして、抑制のきかない思いが、耳丸の体を礼と一つにさせた。
 ほとばしる欲情が満たされることとは別に、礼との心のつながりを得たいと思う。全てが一致することはないが、一人握りでも礼と何か同じ思いによって繋がっていると思いたいのだ。
「礼……礼……」
 誰でも、ではなく、誰か、でもない。その名の人だとわかってのこの思いだとわかって欲しくて、耳丸は礼の名を吐息とともに呼んだ。
 始まりは、お互いの弱みと欲が絡み合い、変に合致して始まった最悪の旅だった。
 礼を主人の妻として相応しくないといって嫌い、罵倒してきたのに、旅が始まるとお互いを思いやり、降りかかる苦難をくぐり抜けて、その命を庇い合い、助け合ってきた。この旅は、耳丸にとって礼を愛おしい人として慕わせ、性愛の対象となり、その心までも手に入れたいと思う存在になった。
 命をかけて守ったのだ。命をかけて守ってきたものを、愛さずにいられるだろうか。これが、耳丸が行き着いた結論だった。
 礼への愛欲を満たす最中に、俯く礼の顎に指をかけて顔を上げさせた。
 耳丸に向いた目は、耳丸が何を欲しているのかわかっている。そう耳丸は感じた。
 小屋の側面を張る板の隙間から差し込む微量の月明かりに照らされるその行為は背徳で、礼の顔を凄惨にしたが、耳丸には美しく、さらに劣情を掻き立てられた。礼の体の奥深くへと肉欲は走り、礼の呻くような吐息を聞くと、愛おしさが増して、礼の唇を求めて深く重ねた。すると、女から放たれる濃い匂いに包まれて、甘美に酔うのだった。
 体の欲望の熱を冷ますと、礼の体を横たわらせた。それでも、礼を離しがたくて、耳丸に背を向けている礼を後ろから抱いて離さなかった。
 伸びた髪をかきあげて、耳の後ろから、首筋へと唇を這わせて、礼の肌の上に記しを残す。この体しか手に入れられないのだ。本当に欲しいものを礼からもらえることはない。礼はわかっていて、与える気はないのだ。
 礼は何一つ形になる言葉を発しない。泣き声もない。ただ、自分の身をこれ以上壊されないように、両手を交差させて自分を抱き、膝を引きつけて丸くなって横になっている。
 耳丸はやっとの思いで礼から離れて、藁の上に体を横たえて、まんじりともせず、夜が更ける中に身を置いた。

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