Infinity 第二部 wildflower50

梅 小説 wildflower

 若見は、自分の部屋の入り口が朝仕事に向かう時とは様子が違うことに気づいた。いつも自分がしている戸の立て方ではない。誰かが入り込んだのか?取るものなど何もないのだが。
 ゆっくりと戸をずらすと、部屋の中に人影が見える。戸を動かす音で、部屋の中の人物はこちらを振り向いた。
「若見」
 すぐに名前を呼ばれた。
「……あれ、耳丸さんとお医者様」
 若見は驚いた。城に、実言の兵士二人がたどり着いたことは知っていたので、いつかは二人が帰って来るとは思っていたが、早いように思った。
「よくご無事で。ただいま戻られたので?」
「未刻(午後二時)にはこちらについた。頼れるのはあなたしかいないから、勝手に上がって、休ませてもらった」
「そうですか。ようございました。食事はまだですよね?」
 耳丸と礼は頷いた。その時、どちらの腹かはわからないがぐーと腹の虫が鳴った。
「正直ですね。待っていてください。食事をお持ちしますよ」
 若見は笑いをこらえて、二人に背を向けた。
「申し訳ない」
 と耳丸は頭を下げて、若見を見送った。
 若見は食堂に行って膳を二つ作ってくれるように頼んで、高峰のところに二人の帰還の報告に行った。戻ってくると粟を蒸したものと、青菜の塩漬け、汁が出てきた。
 膳を重ねて持って部屋に行くと、自分の足音に気づいたのか、戸が開いて耳丸が出てきた。両手がふさがっているから、とても助かった。若見はそのまま部屋の中に入って膳を二人の前に置く。礼と耳丸は静かに食事を始めた。
 その間、若見は二人の兵士が城の門の前に到達した時のことを話した。
 門番の兵士に自分の所属を告げてもそんなものはないと言われて突き放された。兵士にすがって高峰様に会いたいと言ったが、取り合わず追い返そうと悶着が起こったのだった。
 耳丸は少ない食事をすぐに平らげた。粟の入っていた椀に水筒から水を注いで、椀の中に付いた粟をきれいにさらって水と共に喉に流して、若見の話を聞いた。
 確かに、高峰に会わなければ救援隊を送ることは難しいので、高峰の元に行くことが至上命令だった。二人の兵士は命令を遂行するのに苦労したようだ。
「運良く高峰様は、政庁の中で仕事をされていまして、その悶着を見知った者がすぐに走って高峰様にお知らせして、門へとかけつけられたのです。高峰様が二人の身元を請け負われて二人を匿ったので、なんとか救援隊を出すことができました」
 若見は思い出して、二人の兵士が将軍の手に落ちなかったことを安堵した表情をした。
「こちらに戻ってくる時に、救援隊の姿を見ました。その姿を見て、我々も安心しました」
「はい。実言様のお怪我も、そちらのお医者様が手当てされて、良くなったようですね。村を旅立つ時に、伏せておられた実言様が起き上がって自分たちを見送るまでに回復されたと、喜んで話しているのを聞きましたよ。それで、あなた方が無事について目的を遂げられたこともわかりました」
 話している間に、礼も食事を終えて人心地着いたところで。
「ごめん」
 声と同時に入り口の戸の隙間から男が一人入ってきた。高峰だった。
「お二人とも良くご無事にお戻りになった」
 高峰は上がり框を上がって座ると、そう言った。
「あなた方のおかげで、あの村への道筋も出来そうです。夷との境が曖昧なところですが、戻った者たちはその道をしっかりと覚えており、追加で兵士をやることにしています。実言殿をこちらに連れ戻す日も遠くありません」
「実言様は足の傷が思いの外深く、ご自身で動かれることは困難です。もう少し回復しないと、あの村から若田城まで連れ戻すことは難しいと思われます」
 耳丸が言うと。
「そのようであるな。聞いている。実言殿を連れ帰って療養していただくためにも、兵士をやってあの土地までの道を我々の支配下にするつもりだ」
 高峰は答えた。
「戻られたばかりで、お疲れだろう。今日はもう休まれたらいい」
 高峰が部屋を出て行くと。
「お部屋に案内します」
 残った若見が言った。
「今は、運良く部屋が空いています。前のようにこの部屋で休まれることは、私は構わないですが、二人ともお疲れでしょうから、そちらで気兼ねなくお休みください」
 若見に連れられて若見の部屋から五つの筋を越えて、細長い長屋の連なる筋に連れて行かれた。
「ここは都や、東国からくる役人や兵士たちが入れ替わり使っている宿舎です。今は使っている部屋も少なくて。……どうぞ」
 端の部屋の戸を外して、中へ入れてくれた。
 礼が先に後から耳丸が入った。若見が使っている部屋より、少し狭いが、二人で使うのには十分である。
「灯りを持って来ましょう。それに、筵も」
 若見は灯りと筵を持ってくると、二人の様子を横目に部屋を去った。
 若見が持って来てくれた灯台は少しの空気の揺らぎで、大きくなったり小さくなったりした。不安定なその炎を中心に、礼と耳丸は筵を敷いて、荷物を枕に頭を置いて寝転がった。
 暑苦しく寝苦しい夜だった。
「礼」
 耳丸が体を起こして、灯りに顔を寄せて呼んだ。部屋の奥に礼の背中が身じろぎした。
「……ここまで帰って来られてよかったな」
 耳丸は安全な建物の中で体を休められるのを嬉しく、感慨深かく言った。
 礼が体を起こす音がした。そして、耳丸がそうしているように灯りに顔を近づけて来た。
「耳丸のおかげだ」
 礼は囁いた。灯台の火が揺れて、礼の顔ははっきりと見えたり、影になったりした。
「ありがとう」
 耳丸は労いの言葉に喜び身震いする思いだった。その気持ちを抑えて、言った。
「実言が言っていたように、これからも気が抜けない旅だ。束蕗原まで無事に帰らなければ意味はない」
「……束蕗原」
 礼は呟いた。
「準備をして、早くここを発とう。そのためにも、十分に休まないと」
 耳丸は言って、灯りから離れて寝転がった。礼の身じろぎする気配が感じられて、礼も再び筵の上に戻ったのだとわかった。
 耳丸は目を閉じたが、寝苦しさと、旅の終わりに向かう何か……物悲しさを感じて寝付けなかった。

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