Infinity 第三部 Waiting All Night83

小説 Waiting All Night

「王子、しっかりとつかまっていてください」
 実言は闇に向かって叫びながら、前を走る馬を追った。
 自分の胴にしっかりと回された王子の腕を感じて、王子を最後まで落とさないように王宮に滑りこむと決意する。
 前から矢が飛んで来る。実言の前を行く馬に乗っている部下の隆(たか)成(なり)が盾になる格好だ。そして、実言の気迫に気圧されるように矢は実言と哀羅王子のそばをすんでのところで避けて通り過ぎていく。
 門を開けると同時に岩城の間者を塀の上から外へと放った。邸の周りにいた春日王子の間者をつけ狙って倒すためだ。実言は念には念を入れて、哀羅王子をこの別邸から脱出させる方法を考えた。ここを無事に出て王宮に着けば後は岩城の力でどうにか、大王の前までお連れすることができるだろう。
 実言は何手も重ねた脱出の作戦を敷き、別邸の門から躍り出たのだった。
 馬脚を緩めず実言と隆成は疾走した。できるだけ早く、王宮にたどり着くために。
「隆成!もうすぐ大路だ!気を緩めずに細心の注意を払おう!」
 実言は前を走る隆成に言った。 
 急に前を走る隆成が馬の足を緩めた。実言も馬の手綱を引いて速度を落とした。目を凝らして先を見つめると、男が二人立っている。
 ああ来たな。
 と実言は予想していたその難関と対峙する時が来たと思った。
 ここを抜けたら都を南北に貫く大路に出る。その前に、相手はこちらを仕留めたいと考えるだろう。
 隆成は馬上で腰の剣を抜くと、道を塞ぐ男たちに向かって行き剣を下方から唸りをあげて上へと振り上げる。素早い動きで男たちはそれをかわした。無言で息遣いだけ荒く、春日王子の間者たちは隆成の次の攻撃を受け止めにかかった。そうしているうちに実言勢の間者が追い付いて、隆成が相手をしている春日王子の間者に向かって切りつけていた。春日王子の間者二人に、実言勢は、実言、隆成、そして二人の間者。優勢と思っていたら新たに春日王子側の間者が角から現れた。それも二人。
 隆成が素早く今現れた間者へと向かうが、相手も接近戦をすぐには挑まず、弓を構えて矢を射ってきた。次々と淀みなく放つ矢を隆成は避けるのに精一杯だ。実言も飛んでくる矢に対して馬の体が横になっているのを、前に向けて自分の背に哀羅王子を庇った。
「王子、私の背に顔を伏せて、腹にしっかりとつかまっていてください」
 実言は腰にはいた剣を抜くと、道の真ん中に馬を進めた。馬を右に左にと動かして飛んでくる矢を避けた。
「実言!」
 実言の後ろで、哀羅王子が叫んだ。
「実言!」
 次に言葉を話そうとしたら、矢が実言の肩をかすめて行った。
 実言も哀羅王子も間一髪のところで矢が通り過ぎていくのを見送った。
「どうなさいました、王子!」
 実言は後ろを振り返って言った。
「…お前が盾になって私を守ってくれるのはありがたいが、お前がいなくなっては元も子もない。私はお前を失ってしまで、我が家の再興ができたらいいとまでは思わない。お前がいてくれなくて困る。お前が生きていなければ、私はお前にも、園栄にも申し訳が立たない。父上にも顔向けできない。生きてくれ。私のために死んではいけない」
 哀羅王子は必至に実言の耳元に向かって叫んだ。
「お前は自分のことも考えろ!」
 続けて言う哀羅王子に、実言は暫く下を向いて黙った。そして、顔を上げると。
「ありがたい言葉です。王子、もちろんですよ。これからやっとあなた様と共に働けるというのに、傍にいられないというのは私の本意ではありません。あなたと私で、この場を必ず乗り切るのです」
 実言はそう返して力強く前を向く。春日王子の間者は弓から剣に持ち替えていた。隆成が馬上から剣を振り下ろして応戦していたが、二人を相手にするのは限界があった。隆成が一人に向かって攻撃を仕掛けていると、その隙をみてもう一人が実言と哀羅王子の方へと走り寄ってきた。
 手練れた間者であることを思わせる素早い動きに、実言は身構えて剣を握りなおした。相手がこちらへ走り出した時、後ろから影が飛び出してきた。
 別の春日王子の間者と戦っていた男が一人、実言と哀羅王子の前に飛び出した。
「実言様、ここは私が相手に!」
 実言は頷いて、馬の頭を返した。後ろでは春日王子の間者二人に隆成と実言の間者が相手をしている。
 実言は反対側で、もう一人の間者と味方が戦っているのを確認して、大路へ行く道を進んだ。
「実言!」
 哀羅王子が呼んだ。
「王子、先を急ぎます。つかまって!」
 夏の熱い空気の中を、実言は大粒の汗を拭って馬を走らせた。
 絶対に失敗はしない。そのために、実言は何重にも用心を形にした。先に囮として出した馬二頭の内、一頭は本家に着いたら取って返して、再び哀羅王子の応援に来るように言ってある。
 実言は剣を収めると両手で手綱を持って、馬脚を速めた。腹に伝う哀羅王子の腕の感触を感じて、この道を突き進むのだ。
 目の前に黒い影が見えて。馬とそれに乗っている人と分かった。
「実言様」
 近づくと、馬上の男が言った。
「七継!」
 囮として先に出した一行の先頭を走った男だった。
「皆無事か?」 
「はい、鮎川が負傷しましたが、本家に着きました。手当てを受けております」
「よし、後ろの護衛を頼む!あと少しだ!」
 実言と並走していた七継は馬を後ろにつけた。
 宮廷の南門に続く大路には人っ子一人いない。皆、今夜春日王子が蜂起するか、春日王子を謀反の廉で大王が軍を動かすのか皆が身を隠して見守っているのだ。
 その鍵は、実言の後ろにいるこの方が王宮に入るかどうかで決まる。
 遠くに見える宮廷の南門には門番がいる。しかしその前に、再び立ちはだかる人影が見えた。実言はこれが春日王子が用意した最後の刺客だとわかった。
 実言は少しだけ馬の足を遅くし、剣を抜いた。
「七継!行くぞ、援護を頼む」
 後ろを振り返って叫んだ。
「はっ!」
 実言は腹を決めて馬を進める。相手は微動だにせず、実言が近づくのを待っている。
「王子、しっかりとつかまって。ここを越えれば、王宮です」
 実言は剣を振りかざすと、一気にそれを下ろし、相手と交錯するときに再び振り上げた。立ちはだかる相手目がけて攻撃するとともに、馬を大きく跳ねさせた。相手を飛び越えるほどに高く。
「七継!頼んだ!」
 実言は叫んで、後ろを振り向かず馬を走らせた。
「王子!王子!」
 哀羅王子を呼んだ。返事はない。腹に回されていた腕の感触も小さくなっている。
 どんどんと近づく宮廷の門だけを見つめて、実言は心の中で祈る。どうか、間に合ってくれ、と。
 大路をすごい勢いでひた走ってくる一頭の馬が、一直線にこの門に飛び込もうとしてるのに気づいて、門番たちは中に異変を知らせる者、門の前に立ちはだかり守る者で騒がしくなった。
 夜も更けた子刻(深夜十二時)のことである。
 馬の嘶きを響かせて、実言は門前の坂を駆け上がり。
「私は岩城実言だ!大王に申し上げたいことがあって、哀羅王子様と共に参った。中に入れてくれ!」
 門の前に槍を持って立ちはだかる門番たちに、実言は馬の勢いをおさめるためにぐるぐると円を描きながら、大きな声で言い放った。
 その時、門の中から一人の男が出てきて「通してよし」と言った。
 言ったのは、弾正台の役人である。園栄から今夜大王に奏上したいことがあると、話が通されていたのだ。このことはのちに、実言たちは知ることになる。
 その言葉に敏感に反応した門番たちは、後ずさりながら左右に避けて、門の前をあけた。 
 実言はその開いた隙間に素早く馬の鼻を入れて門内に飛び込んだ。馬を止めると手に持ったままの剣を鞘に収めて、叫んだ。
「哀羅王子を下ろすのを手伝ってくれ。お怪我をされている。医者を呼んでくれ。頼む、早く!」
 実言は王子と自分を結んだ紐を解くと、王子の体は大きく横に傾いた。
 馬の周りに集まった門番たちが傾いた哀羅王子の体が落ちそうなのを受け止めようと、声をかけあって手を差し出した。
 実言は体を縛っていた紐をゆっくりと緩めて、宙に突き出された何本もの手の中に哀羅王子の体を委ねた。ゆっくりと落ちていく哀羅王子の体を受け取った手は、ゆっくりとその体を下におろした。
 それからの実言は素早かった。馬を下りると手綱を渡して、哀羅王子の元に駆け寄った。
「哀羅様!」
 実言の大きな声が宮廷の広場に響いた。哀羅王子は瞼を微かに動かすだけで、言葉も声もなかった。
「どこか空いている部屋へ案内してくれ!そして、医者だ!医者を呼んでくれ、早く!一刻を争う」
 実言は哀羅王子を抱き上げた。別邸を出る前に、礼が布を厚く重ねて傷の上に置き、その上からきつく白布を巻いたが、今その布は血の色に染まっている。馬上での激しい動きや、実言の体につかまるのに無理をさせてしまったのだ。
「王子!哀羅様!」
 実言は哀羅王子に絶え間なく声をかけた。
 先導する役人の背中にくっついて実言は走った。
「こちらへ」
 案内された部屋には、円座があるだけだった。
「褥を用意してくれ。こんな固いところに王子を横にしてはおけない」
 実言は、自分の上衣を脱ぐと丸めて哀羅王子の頭の下に敷いた。実言は哀羅王子の手を握ってその名を何度も呼んだ。
「哀羅様!哀羅様!」
 反応のない哀羅王子に、実言はますます大きな声になる。
 男の怒鳴り声が響く宮廷の中は、驚きが閃き恐怖した。やはり噂どおりに、今日は何か起こる。戦につながる事が起こるのだと確信するのだった。
 実言は哀羅王子の顔を凝視し見守っていると。
「……ん、……み……」
 哀羅王子の口から小さな声が発せられた。
「哀羅王子!」
 実言は握っていた哀羅王子の手を握りなおして、名を呼んだ。
「……み、こと……」
「王子、気がつかれましたか」
 哀羅王子は頷いて、視線を辺りに向けた。
「ここは宮廷内の部屋です。私たちは宮廷にたどり着きました。これから、少し手当てをしましょう。大王へのお目通りの準備もありますから」
「……っ」
 哀羅王子は痛みに声にならない声を上げて顔を歪めた。
「王子、無理をさせましたね。痛いですか?……我慢してください。今、医者を呼んでいますから」 
 哀羅王子は頷いた。
「もう、こんな目に遭うなんて驚きだ。自分の体ではないような……、痛いのかかゆいのかもわからないよ。……こんなことはこれが最初で最後にしたいものだ」
 と口を曲げて声なく笑った。
「ええ、それは私がお約束しますよ。ここを乗り越えれば、こんな肉体的な苦労は終わりです。王子、もうひと頑張りです」
 実言は哀羅王子の負傷していない手を再び握って言った。

※少しばかり内容を修正しました。

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