Infinity 第三部 Waiting All Night6

松 小説 Waiting All Night

 四月、花の宴は都の東の外れに位置する山の麓にある翔丘殿という離宮で盛大に行われた。
 宮殿の周りには錦の幕を張りめぐらせ、旗を立てているので、宴の場所は遠くからでもわかった。
 正殿の正面には舞台を設え、楽団や舞踊の演者達が行き交いしている。正殿の左右に広がる建物は、舞台を囲うように伸びており、大王の妃やその王子達や王族がお座りになる。また、末席には高位の臣下が座った。実言はその位に応じて、舞台の下を巡るように作られた宴席の末席に座った。
 この時、実言は懐かしい人物を目にした。麻奈見である。
 麻奈見は代々宮廷楽団を取り仕切る家の嫡男だ。このような宴の中で重要な役割をし、音楽を奏で、舞を披露する。
 忙しそうに楽器の移動をさせているところに、実言は舞台の下から麻奈見を呼んだ。
 麻奈見は少しあたりをキョロキョロして、ようやく舞台下の宴席に座る実言に気づいた。
「実言様!」
 幼い時から知っている幼馴染といえる仲だから、気安く呼び捨てしても実言は一向に構わないのに、この時麻奈見はその身分に応じて、実言を呼んだ。
 舞台の階段から下りてきて、実言の前に跪いた。
「お懐かしい。お会いするのは本当に久しぶりですね。最後にお会いしたのは北方の戦に行く前でしたね。北方での素晴らしいお働き、聞き及んでおります。そして、ご昇進おめでとうございます」
 麻奈見は褒め称えるような挨拶をするが、実言はそれがこそばゆい。先ほど酌をしてもらった杯の酒を少し含み、口の端を曲げて苦笑いした。
「そんな挨拶は他人行儀が過ぎて、悲しくなるな」
「どうかお許しを。ご無事のご帰還、嬉しい限りです。宮廷を出入りする者として、戦の情報は聞こえておりましたが、あなた様が一時期行方不明との情報には、とても驚きました。とても心配致しました。たびたび三輪山へ向かい祈っておりました」
「そうか、ありがとう。どうにか、命をつないで、都へ帰ってきたというところさ」
「こうお見受け致しまして、ひと回り大きくなられたような気が致します。ますます、岩城家をお支えする重要な柱の一つになられるでしょう」
「どこまでいってもむず痒い話さ。こうしてまた、お前と会えるとは嬉しいことだよ。今日は、舞を見せてもらえるのかな?」
「はい、恥ずかしながら、後ほど舞う予定でございます」
「そう謙遜するものではない。北方の戦は殺伐として、芸能など全くの無縁であった。楽しみにするよ」
「ご期待に添えるように力を尽くします」
「また、ゆっくりと語りあう場をもうけたいものなだ。今度会ったときは時間をおくれ」
「はい。もちろんです」
 麻奈見は堅苦しい態度を崩さなかったが、実言は幼い頃から知る麻奈見との通じ合う気持ちを感じ取っていた。
「では、また、ゆっくりと」
「はい。その時は、戦での武勇伝をお聞かせ下さいませ」
 麻奈見は深々とお辞儀をして、立ち上がった。同時に、舞台の上から麻奈見を呼ぶ声があり、舞台を振り向いてすぐにそちらに行くと目で合図した。麻奈見は再び実言に顔を向けて友人の笑顔を見せると舞台へ上がった。
 実言はしばらく左に座る臣下と話をして、酌をしてまわる女官に杯を満たしてもらいながら、その時はいつだろうかと、時折、正殿の大王と春日王子を盗み見た。
 今日、春日王子は大王に「哀羅王子」を引き合わせるつもりなのだ。実言はその時がいつか、気になって仕方がなかった。
 舞台では、少女の舞が舞われ、宮廷楽団が奏でる音楽が途切れることなく流れている。
 左右の者との会話も途切れがちになり、一人酒を飲んでいると、今度は実言が名を呼ばれた。
「どうしたのだ?この席に似つかわしくない顔をして」
 顔を上げると、荒益が立っていた。自分の辛気臭い顔を見られていたらしい。
「ふふ。少し考え事をしていたよ」
「何を考えることがあるのだ。無事に戦に勝利し、こうして帰還して、政に深く関われる立場に戻ったのだから、悩むこともないであろうに」
 荒益は目尻に皺を寄せて微笑んでいる。
 実言の向かいに腰を下ろした荒益は、実言と少し話がしたいのだろう。
 荒益は実言の一つ下であるが、子供頃からの付き合いである。しかし、ことに一族同士となると、荒益の椎葉家と実言の岩城家は政敵であり、父親同士は宮廷で張り合っている。お互い、いずれ親に習って、宮廷で敵対する仲かもしれないが、今は幼い頃からの学友として自然に付き合っている。
 荒益は椎葉家の嫡男で、家格からして、そのうち位階は上がるであろうが、今はまだ従六位で、刑部省の判官である。出世の速さは少し実言が先んじている。
「今日は、春日様が大王に合わせたいお方がいるといって、密かに臣下の中で持ちきりだが、いつの時であろうか。若干落ち着かない気持ちであるが」
 と荒益が言った。それは実言が一番気にしていることである。実言の所に、「哀羅王子」の名が聞こえているのだから、当然椎葉家でもその情報は得ているだろうが、誰もその名を言わない。
「そうだな。どなたであろうか……気になるところではあるが」
 実言もとぼけたような言葉で、自分の気持ちをそらした。
「……ところで、あなたにお願いしたいことがあって」
 荒益が切り出したところで、遠くから実言を呼ぶ声がした。
「実言!」
 その男は、舞台と宴席の間で瓶子を持って行き交う女官を避けながら、実言と荒益のいる方へ歩いてきた。
「稲(いな)雅(まさ)」
 子供の頃から同じ学舎で机を並べている実言の友人がやってきた。
 荒益も知らない人物ではないが、歳が違っており、顔見知りといった間柄である。
「これは、椎葉殿」
「お久しぶりでございます、浅野殿。では、実言、また近いうちに話に伺うよ」
 荒益が一番話したかったことである、「お願いしたいこと」は話せずじまいになってしまった。実言から遠ざかっていく荒益も、途中、宴席から声をかけられて、友人たちと言葉を交わしている。
「稲雅、久しぶりだな」
「おうよ。よくも無事に戦から帰ってきたものだ。まずは、祝杯を!」
 浅野稲雅は、近くを通りかかった女官を捕まえて、実言と自分の杯に酒を注ぐようにいいつけた。なみなみと注がれた酒を一気に飲み干し、二人は笑いあった。
 稲雅は阿波国へ赴任していたが、ちょうどこの時に帰国していたのだった。
 お互いの近況や、実言の北方での戦の働きについて話をしていると、舞台上では、有名な演舞が始まり、誰もが私語をやめて、その演奏と舞を注視した。それを見終わると、稲雅は立ち上がり、再会を誓い合って別れた。
 実言は友人たちとの会話の余韻に浸りながら、正殿を伺った。
 まさにその時、春日王子が大王の前に進みでて、何やら耳打ちしているところであった。
 実言はじっとその様子を目の端で窺った。

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