Infinity 第三部 Waiting All Night31

小説 Waiting All Night

 夜が深まると、音楽や舞の好きな者と宮廷楽団から招いた二人を交えて仕切り直しの管弦と舞の催しが始まった。皆、庇の間まで出てきて、庭に作られた舞台に注目した。
 碧妃と有馬王子は正面の部屋に座り、後ろに岩城園栄と実父の河奈麿、園栄の長男の蔦高が控えて、有馬王子の様子を伺いながら一緒に見ている。礼は碧妃から一緒に観るように言われたが、やんわりとお断りをした。
 本家の女人たちと一緒に双子を連れて、西側の庇に陣取って端近に寄って観ることにした。
 実言も礼も、芸能にはからっきしで、邸の中で音楽が奏でられることは少ない。舞踊もたしなむ者は皆無である。なので、子供たちはこれまで音楽や舞に触れたことがなく、良い刺激になると思った。案の定、二人は興味津々で目を輝かせて観ている。特に実津瀬は礼の傍を離れて、高欄につかまってその身を乗り出して食い入るように舞台上の舞姿を見ている。
「礼」
 後ろから声をかけられて、そっと肩に手が置かれた。礼と隣に座っていた蓮が一緒に振り向くと、実言が立っていた。
「あなた!」
 朝から宮廷に行き、そのあとは本家に出向いて宴の準備などで会うことのなかった実言が、一段落して子供たちと音楽を楽しもうと礼を探してやって来たのだった。
 お父様!と蓮は母親の隣に座った父親に飛びつき、その膝の上に座って甘えた。
「麻奈見はまだかな?」
「ええ、これからだと思います」
「志埜部が麻奈見と一緒に二人舞をするといってね。楽しみにしていたのだ」
 志埜部は岩城家の末弟で実言の異母弟である。十六とまだ若く、皆から可愛がられていた。岩城家の者としては珍しく、芸能や音楽が好きで、宮廷楽団から指導を受けていて、本人は真剣に打ち込んでいる。
「それは楽しみね」
「お父様!」
 高欄に身を食い込ませてつかまっていた実津瀬が、父親がいることに気付いて戻ってきた。
「実津瀬、何をそんなに見ていたの?」
 そう訊ねられて実津瀬はどう言ったらいいのかわからず、黙っているので礼が助け舟を出した。
「実津瀬は、舞が楽しかったのでしょう?こうやって、手を広げて、足を上げて、ほら」
 礼が小さく両腕を広げてみせると、実津瀬はそうだと言うように、目一杯両腕を広げて、母の言葉に沿って右膝を上げて、見ていた舞を真似ようとした。
「踊りが好きになったの?」
 実言が訊くと、こっくりと実津瀬は頷いた。
「そう。ずっと好きなままだったら嬉しいな。私は芸能や音楽はからきしだめだったからね。礼もだろう」
 実言が言うことに、礼も苦笑いして、実津瀬の舞の真似事に目を細めて見守った。
 篝火の爆ぜる音とともに、火が舞台に上がった二人の男の姿を闇からはっきりと映し出した。
「ああ、麻奈見と志埜部だね」
 実言が礼に言った。礼は頷いて舞台の方を向いた。
 神妙な調べの笛の音が耳に届くかどうかというような低い音から徐々にその音を大きくして、幽玄な雰囲気から強く軽快な調べへと変わっていく。舞台の上に二人背中を合わせてじっとしていた二人の踊り手は勢いよく片手を振り上げ、舞が始まった。
 舞の力量は圧倒的に麻奈見である。志埜部は毎日のように練習をしたが、麻奈見と合わせたのは二度しかなかった。志埜部は添え物のようで、へまをしないようにするのが精一杯のようだった。
 実津瀬は魅入られたように舞台に吸い寄せられて、母の元を離れて高欄に駆け寄り、その間からじっと舞台を見つめていた。
 麻奈見は、緊張からいつもの伸びやかな舞ができていない志埜部の様子を感じて、無用に志埜部の体にその腕や足をぶつけた。志埜部はそのたびに、麻奈見の舞の乱れと思ったが、麻奈見の視線は違うものだった。ねっとりとした麻奈見の視線に自分の舞の硬さを感じさせられて、いつもの練習の気持ちを取り戻そうとした。
 麻奈見は自らの熟練の舞から、志埜部の日ごろ持っている大きな舞を引き出そうと、言葉はなくとも視線を交わし合いから、腕を大きく振り上げて声を上げた。
 志埜部も腹からの鋭い声を発し、意識の届いていなかった指先、足先まで精神を漲らせて大きく舞った。
 そうだその舞だ、というように麻奈見はよりピンッと伸ばした指先を志埜部に突きつけるようにして、足を蹴上げて後ろに飛んだ。目の前に突きつけられた美しい舞に、負けたくないと志埜部の心も高揚して、いつも以上に手先を伸ばした。
 歴然としている舞の力量に、到底勝ることはできないが、しかしその舞に導かれて追いつき、肉薄するほどまでのものが見せられれば、志埜部としては満足がいくものだった。
 舞は佳境に入り、早い旋律の中で、対決するように一人ひとりが違う舞を見せ合い、その後呼応するように同じ振りへと戻っていく。そのぴったりと息を合わせた舞が舞台をところせましと動いていく。
 観衆は目を見張ってその舞の終盤を見守り、終わってしまうのが物悲しく、いつまでも見続けたいと感じていた。
 しかし、無情にも伴奏の笛と琵琶の旋律は終わりを示した。物悲しい余韻を漂わせながらゆっくりとその音を締めた。舞人の二人は、型を決めたまま止まって、各々の余韻を味わって手を下ろした。
 観衆はほうっと溜息をついてその演目の最期を見届けた。舞人の二人の力量は誰の目に明らかだが、志埜部の自分の力以上の高みを目指して懸命に踊る姿は人々の心を打った。志埜部の後半からの勇猛果敢な舞を引き出したのは麻奈見の才能に外ならず、観衆はまた麻奈見の能力と技量に感嘆するのだった。
 舞った二人はすがすがしい気持ちで舞台を降りていった。
 舞が終わると、高欄に食いつくようにすがって観ていた実津瀬が庇の間に駆け戻ってきた。
「実津瀬、どうだったの?」
 膝を高く上げて、飛ぶように戻ってきた実津瀬に礼は声をかけた。
「僕も踊りたい」
 礼の前に立った実津瀬は、両手を広げて片足を上げて、静止して先ほどまでの舞の一部を真似るのだった。
「これは楽しみだね。実津瀬、踊りを習うかい」
 実言がそう言うと、実津瀬は少し間をおいて、こっくりと頷いた。妹の蓮は疲れたのか、父親の胡坐の中に丸まってすやすやと眠っている。妹の様子を見たら、実津瀬も甘えたくなったのか、母親の膝に上がって、その胸に飛び込んだ。
 その後、舞台の上ではお道化た舞を披露したり、好きな者が酔いに任せて笛を吹いたりと余興が進み、皆食事や酒、おしゃべりに興じた。
 正面の広間に座っていた碧妃と有馬王子は有馬王子が眠たそうにし始めた頃に、切りをつけて自室へ戻った。
 実言と礼が座っている間に、やがて麻奈見がやってきた。それまで、ほうぼうの部屋でその笛や舞の才能を称賛され、そのたびに酒を飲まされてきたようで、少し上気した顔をしていた。
「麻奈見、ありがとう。あなたのおかげで弟の志埜部も何とか格好のついた舞をみなさんに見せることができたよ」
「それは、志埜部殿に失礼というもの。彼は、彼の持っている力を出すことができたのです。私は少しばかりお手伝をしただけのこと。職業柄、舞台慣れしておりますので、いろいろと手助けできましたが、それでもあのように舞台の上で舞えるのは、志埜部殿の才能でございましょう。このまま舞を続けられれば将来有望な舞手となられるでしょう。楽しみなことでございます」
「宮廷随一の舞手にそんなに褒めてもらえると、志埜部も喜ぶだろう」
 実言は我がことのように嬉しそうに言った。実言の前に麻奈見が座ったのを見計らって、礼は後ろに控える侍女に目配せした。実言は自分の胡坐の上でぐっすりと眠っている蓮の首と膝の下に腕を入れて持ち上げると、侍女にその体を渡した。侍女が二人がかりで蓮を連れていく。今日は家族みんなで本家に泊まる算段である。礼の膝に座って、その胸に顔を押し付けていた実津瀬も、眠たそうに眼をこすり、今にも閉じてしまいそうである。
「実津瀬はね、二人の舞を観てとても感激したようだった。舞を習うかと問うたら、頷いてね。そのうち、踊りを教えてやってほしいと思っているところだよ」
「ええ、喜んで。これから岩城家からは舞手が多く出るかもしれませんね」
「それは楽しみ」
 と礼も言葉を添えてた。そして、ここが頃合と麻奈見に挨拶をして、侍女を呼んで立ち上がり、礼は実津瀬を抱いて寝所へと下がって行った。

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