「そうだ、買いかぶりも見くびりもしない。騙し合いや仲間の手を借りることもしない。今、ここに出せるものを出し合うしかあるまい。私も、そしてお前もな」
春日王子はにやりと笑って、構えている実言に向かって先手の攻撃を与えた。実言はそれを受けて、鍔を突き合わせて、お互いに力をぶつけ合い、そして離れた。
次は実言が踏み込み春日王子に向かって剣を振り下ろした。春日王子は下から剣を横にして左手を添えて受けると、そのまま跳ね返して二人は距離を取った。そして、春日王子が突いてきたのを実言が避けて、下から剣を跳ね上げた。春日王子は両手で浮き上がる剣を抑えて耐えた。しかし、そこを実言も力いっぱいに跳ね上げて、そのまま胴へと突きを入れた。春日王子は軽い動きで飛び退り、その剣先をかわすとそのまま自分の体を一歩前に出して実言に襲いかかる。下から出される剣に実言は、自分の体を遠くへとやって剣を差し出して受けた。今度は実言が横から春日王子の胴を狙って水平に剣を振った。これをまた、春日王子は鍔近くの剣の刃で受けて押し込んだ。
「面白い!お前を見くびっていたわけではないが、ここまでやるとも思っていなかった!」
春日王子はそう叫んだ。
その言葉を聞いて、今度は実言が口の端をぐいっと上げて笑う。お褒めにあずかり光栄という気持ちである。
剣を突き上げた反発で二人は後ろに下がって距離を取った。
春日王子が剣を繰り出せば実言がそれに受けて返す。反対に実言が攻撃してきたら、春日王子がそれを見切ってかわす。こんなことを飽かずに繰り返した。
春日王子は、数度の実言との打ち合いを終えて、ふっと笑みを漏らした。
こうも癪に障る男もおるまいな、と思う反面、これほどに自分の内なる闘志に火をつける男もいまいという思いに至ったのだ。
確かに我が御代を思い描いた時に、この男は邪魔な存在であるが、その反面自分の思い描くものを実現するうえで、この男が必要だったかもしれないとも思えた。臣下の批判を受けながらもその批判を受け入れ自分のその理想を補正しながら、万民を幸福にするために政を進めるのはこうした自分とは異なる考えを持ち、しかし冷静に臨機応変に話ができる者が敵対する勢力にいることは、ありがたい。この男をうまく使えば自分は自分が思う以上の為政者になれたかもしれない……と。
この男を打ち負かすこと、それは剣を使うこともだし、政の議論においても凌駕することは為政者となった自分の悦びになっていたかもしれない。
もし、この男が政の中心に来ていれば、私の心も違っていたか。世代の少しの違いがこの男を遠ざけてしまった。
それは自分にとって誤りだったかもしれない。
鍔を合わせた後に春日王子の力が勝って実言を押し込んだが、実言は後ろに飛び退って、すぐ前に出て真上から飛び込んだ。
それは渾身の力をもって振り下ろしたもので、春日王子は剣で受けたが体が沈み込むのを抑えられなかった。
本気になった岩城実言は、いつでもその体を傷つけることができると言わんばかりに、春日王子が着ている衣の袖をそわっと触れてくる。
春日王子は、崖を背にして立った。実言からだいぶ距離を取って。
いつ、どうやって、決着をつけるか。
春日王子は決着がつくのが物悲しい気持ちになる。それは自分が倒れるのも、この男を倒すのも、望まない思いに突き当たるのだった。
この状況が続けばいいのか……。
「……王子……」
実言は肩を大きく上下させながら、春日王子に向き合った。
「どうか、思い直していただけませんか。大王はあなた様を心から頼りにされております。だから、あなた様の弁明をお聞きになりたいのです。周りの者が何と言おうとも!」
春日王子は 笑った。ふふふっと声が聞こえるほどに。
「情けをかけてくれるであろうな、兄上は。本当に優しい兄だったから……」
春日王子はそう言った後、呟くように続けた。
「優しいが、弱い兄でもあった。弱さは自分の判断に自信を持てずに、誰かの言うことに迎合してしまう。私を信頼してくれたこともあったが、大后を信じて私の言うことなど聞いてくれなかった」
春日王子は言うと、実言を真正面から見た。
「お前は面白い。こうして、どちらかが倒れるまで戦わなくてはいけないのは残念だな。今が終わってしまうのが惜しいと思っているほどだ」
「春日王子!」
「そろそろ、決着をつけないとなるまい。皆が待っている」
春日王子は、剣を実言に向けて上げた。剣の前に立つ実言は、じっとその先を見つめて息を呑んだ。
春日王子は踏み込んで、実言の頭上に飛びあがった。実言は体を低くして、春日王子の攻撃に備えた。上から重い剣が落ちてきたのを、受けて鍔で詰めた。顔の前で鍔を合わせて睨み合った。
実言には春日王子の目は今を喜んでいるように見えた。討ち合う中、重い剣で腕がしびれて震え、激しい動きで息が上がるのに、目の奥は煌めいているのだ。
実言も、こんなふうに武力で争うのではなく、政の中で議論を戦わせる相手になりたかった。
それを、捕縛して都に連れ帰らなくてはいけないとは、なんと苦渋なことであろうか。
春日王子が踏み込んで、実言の胴へと剣を飛ばした。実言は体を翻したが、胴に着けた短甲へと剣の先が入った。
我が大将の腹を裂く剣に大王軍の兵士たちは悲鳴のような声を上げた。
実言は時が止まったのだろうかと思うほどに、じっくりと春日王子の剣の動きを見ていた。胴に来ると思った剣をかわそうとしたが、思ったほど体が動かなくて、春日王子の剣の先が短甲へと触れるとの予測がついた。深く入ったら致命的な傷を負うことなると、実言はぎりぎりのところまで、その剣の先を避ける動きをした。短甲の中に入ってくるのが避けられないとわかると、実言は我が身を半分投げ出すことに決めた。
頑丈な短甲と我が身に刃を喰らわせて、実言は下から春日王子の握る柄に向かって自分の剣を跳ね上げた。
それは渾身の力を込めたため、春日王子の手と共に剣を跳ね飛ばした。宙に浮いた剣は朝日の輝く空に吸い込まれていく錯覚を覚えたが、弧を描いた剣は下を向いて、舞台の上に落ちた。その体を弾ませるように跳ねたが、すぐに二人の足元で静かになった。春日王子はすぐさまその剣を取り戻そうと手を伸ばして身体を屈めたが、いち早く実言が足を延ばしてその剣を踏み、春日王子を退けた。そして、自分の剣を春日王子に突きつけて、その身を一歩後ろに下がらせた。
「春日王子!もう、あなた様の手に武器は無い!あなた様を都へお連れします!」
春日王子はもう一歩下がった。
突きつけられた実言の剣先を見つめた春日王子は、観念したように、立ち尽くした。
奪われた剣以外に武器になるようなものはこの身に着けてはいなかった。
我が身、ここに極まったかと悟る。
その時、思い浮かぶのは女人の顔だった。先ほど別れたばかりなのに、長い間会えていないような懐かしさを感じる。
あんな体にしてしまって、今生きているかどうかわからない。もし、そうならすぐにでも自分も傍に行く。まだ命があるのなら、苦しむことなくゆっくりと私の傍に来て欲しいと思った。
朔。
天下を兄に代わり治めることを夢見て、兄の命を奪ってでもその思いを成そうという決意が、朔のことを思うとその意欲は消え失せて、成し遂げられなかった朔と生活に思いが行く。
権力が全ての人生とは違う運命に出会いたかった。それを手に入れられたかもしれないと知って、別の欲が出たのか……。昨日までの自分ではなくなってしまった。
「春日王子!私も剣を捨てます。そして、そちらへ向かいます。あなた様は動かないでください」
実言は言って剣を離し、音をたてて落ちた。
春日王子は、抵抗する様子もなく、仁王立ちで近づく実言を見て言った。
「岩城……ここで約束したのは、お互いの兵士に無体なことをしないということだ。私の身を大人しくお前に渡すとは言っていない」
「春日王子!」
実言は押し付けるような強い声を発して、焦る気持ちを露わさないようにゆっくりと春日王子に近づく。
「岩城……兄上に、謝っておいてくれ……」
「王子!」
実言は春日王子の呟きを聞いて、大股で春日王子の体を捕えようとした。
「金輪!」
「お待ちください!」
実言が近づくにつれて、春日王子は一定の距離を保とうと後ずさった。
春日王子は舞台の端へと歩いていく。その先は崖である。
そちらに寄って行く春日王子に、実言は悪い予感がよぎって、走り出した。
春日王子は低い欄干をまたぎ、舞台の外に身を乗り出した。
「金輪!後は頼む!」
後ろを振り返り、都からつき添ってくれた金輪に向かって、空に吠えるように言った。振り返った時に、岩城実言が自分の名を呼びながら慌てたような顔をして近づくのが見えた。
「岩城!」
実言の焦った顔を嗤う春日王子は、一瞬実言を怯ませるような勢いの声で呼んだ。
「お前は……情け…ないな」
実言は一瞬驚いて動きがとまりそうになったが、すぐに欄干に近づき春日王子を捕えようとした。しかし、実言の伸ばす手を掻い潜って、春日王子は掴まっていた欄干から手を放し、自分の体をその空中に飛び出させた。
ぽんと前方へ飛んだ春日王子の体を掴もうと、実言は欄干から大きく身を乗り出して手を伸ばした。春日王子の落ちてゆく顔を乗り出した実言は真正面から見ながら、その手を掴もうとしたが、春日王子の体の前に出した手の指先に実言の指先が触れただけだった。
実言の体が舞台から飛び降りそうになるのを、後ろで見ていた兵士たちが急いで舞台を横切ってきて足や、腰を捕まえてその体を舞台の上に留めた。
実言は自分の体が部下たちに支えられてゆらゆらする中、下を向いた。
舞台の下の岩の上に春日王子が横たわっている。
実言は体を舞台の上に引き上げてもらい、皆にその無事を確かめられた。胴に受けた剣は短甲を断ち、浅く腹を裂いた。血が出ているが、実言はすぐの手当てを断った。
「たいしたことはない。後で構わないから、すぐに春日王子のところへ行ってくれ」
「岩城殿…しかし」
「亡くなっていても、その体を上げてくれ。春日王子をどうするかは大王がお決めになる」
実言は言って、欄干の内から身を乗り出した。
少し平らになった岩の上に仰向けに倒れている春日王子の周りには、少しずつ血だまりが広がっている。
あの方は自ら死を選らばれた。
舞台から飛ぶ前に自分に向かって言った言葉の意味はどういうことだっただろう。
情け…ない……。
言葉通りの意味と取っていいのか。情のない男となじられたのか。あの方の最期に。
実言は重い石を食わされて腹の中に置かれたように思えた。
もう一度、舞台の上から春日王子の亡骸を見下ろした。
春日王子は岩の上に激突すると、体中にその衝撃を受けた。体内がぐわんと揺れて、その衝撃がだんだんと小さくなるのを感じる。そして、自分がこと切れるのを静かに受け入れた。
陽はすっかりと昇り、まばゆいばかりの光に、実言は顔を上げてその明るさに包まれた。
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