New Romantics 第ニ部STAY(STAY GOLD) 第四章5

小説 STAY(STAY DOLD)

 翌日、実津瀬は中務省の館で仕事をした後、佐保藁の宮へと向かった。
 宮廷の西北に位置する佐保藁という場所にある宮は、元は大王の邸であったが、いつの時か大王の兄弟に与えられ、それから代々王族が受け継いで住んできた宮である。先代大王の弟宮である春日王子が受け継いだ時は、大規模な改修が行われて、豪華な邸へと変貌を遂げた。
 春日王子は先代大王への謀反の罪を犯し討伐されたため、忌々しい邸として誰も近寄る者がいなかったが、今は桂姫が受け継ぎ住んでいたのだった。
 噂によると、王子との結婚が終わり、一人どこに身を置こうかと考えていた桂が先代大王に佐保藁の宮に住まわして欲しいとお願いをしたらしい。
 実津瀬は佐保藁の宮の築地塀に辿り着いていると思われるが、門に辿り着くまでにどこまでこのきれいに塗りこめられた塀が続くのかと不安になった。
 岩城本家、また自分も住んでいる父実言が建てた五条岩城邸ともに大きな邸で、それを囲う塀はどこまでも続くと感じるほど長いと言われているが、佐保藁の宮はそれ以上に大きい。
 ようやく門が見えてきた。門の前まで来ると、番人が一人、門の内側に立っていた。
 実津瀬が名乗ると、門番は平伏して門をくぐることを許した。
 実津瀬が玄関に向かうと、宮の従者が出て来た。
「私は岩城実津瀬という者です」
 再び名乗ると、男は頷いて言った。
「お待ちしておりました。桂様がいつか、いつかと首を長くしてお待ちです」
 そう言われると、実津瀬は恐縮して男の後ろを小さくなってついて行った。
 邸の中を通り、渡殿を渡って、簀子縁を歩く。
 岩城一族として生まれ育ったから、邸は広く、部屋の中は最高の調度品に囲まれていたから、どこの邸に行っても一族以上の邸に出会ったことはなく驚くことはなかったが、この佐保藁の宮の中は、どれも豪華で秀逸な物が取り揃えられていて目をみはる。
 桂の前にこの宮の住人であった春日王子がその財力でこの邸を煌びやかにしたと聞いたことがある。桂も実父からの財産を相続して裕福な王族ではあるが、これほどの調度や設えは春日王子が残したものだ。
「やっ!来たか」
 簀子縁を歩く音を聞きつけて桂が庇の間まで出て来た。
 従者は実津瀬が前に出やすいように簀子縁の端に身を引いて頭を垂れた。その様子を察して、実津瀬は従者を追い越して庇の間へと入って深く頭を垂れた。
「桂様、昨日は邸を空けておりまして大変申し訳ありませんでした。お言葉に甘えて、本日参りました」
「突然呼び出して悪かったな。……実津瀬はここに来るのは初めてだったか?二回目か」
「いいえ、初めてでございます」
「そうか?有名な宮だから、迷うことはなかったと思うが?」
 実津瀬は顔を上げて、桂を見た。
 きれいに化粧をし、二髻に結った髪は後れ毛もなくきっちりと整えられている。赤く塗られた唇が大きく開いたり閉じたりとせわしなく動いている。
「迷うことはありませんでしたが、どこまでも塀が続いて、門まで辿りつくのに時間がかかりました。聞いていたとはいえとても広いお邸です」
「ふふふ。そうか?しかし、岩城本家ほどではないだろう。本家の邸はたいそう広いらしいじゃないか」
 実津瀬はそんなことはないと首を左右に振り、微笑んだ。
 桂は庇の間から簀子縁に出る。
 部屋の中で何か話があるのだろうと思っていた実津瀬は、部屋から出て行く桂に驚いた。
「……どうした?私について来ておくれ」
「……どちらに?」
「私のお気に入りの場所で話をしよう。他にも客人がいるのだ」
 自分以外にも呼ばれている者がいると聞いて、実津瀬は少しほっとした。その後から、それは誰だろうと今度は不安になった。
 目の前を進む桂は、小柄な女人だ。妹の蓮くらいの体つきで、二髻に結った頭が丁度実津瀬の顔の前であたりそうになる。あまり近づかないように距離を取って、実津瀬はついて行った。
「実津瀬」
「はい」
 桂は立ち止って半身を振り向かせた。急な動きに実津瀬はすぐに止まり切れず、慌てて上体を後ろにそらせて踏ん張った。
「私に呼ばれる理由がわからず戸惑っているのではないか?」
 桂は目を輝かせて実津瀬を見つめる。
 桂は実津瀬よりだいぶ年上の女人ではあるが、今の表情は妹の榧くらいの少女がちょっとした悪だくみを実行して楽しんでいるような風である。
 人が悪いお方だ。
 自分の身分をわかっていてか否か、楽しそうに無理を言って来る。周りはそれを聞かざるを得ない。子供ではないのだから、少しは考えてもらいたいものだ、というのが、周りの従者、侍女たちの気持ちだ。
今も、言葉にはせずともその表情で桂の言う通りだと語る実津瀬の顔を見つめて、にやりと笑った。
「悲しい話ではない。むしろ、燃える話かもしれない。最近のお前は、全く舞に力を注いでいないようだ。夏の、月の宴の時、体調が悪いといって、舞うのを取りやめてしまってから、いっそお前の舞を観ていない。月の宴の時は何かあったか?一説には、体調不良というのは嘘で、他に理由があったのではないかと聞いた。どうなんだ?」
かまをかけているのか、桂は昨夏の月の宴のことを言った。
岩城一族の一員であれば、何かしら命を危険に遭うことがある。実津瀬の父も弓矢で狙われた。それを一度ならずとも二度までもその身を挺して守ったのが母の礼だ。母はそのために左目を失い、右肩に矢に射られた傷がある。
実津瀬も命を狙われた。愛した女は暗殺者の手先で、誘い込まれて命を失いそうになった。女が翻意して、実津瀬を守ったために実津瀬は死なずに済んだが、女の命が失われた。
そして、息子の淳奈だ。
それ以外にも、本家の稲生や鷹野も一度は危ない目に遭っている。
しかし、それを声高に外に触れ回ったりしない。闇の中で岩城一族に牙を剥く者たちと渡り合い、屠る。いなくなった者たちがなぜいなくなったのかを知った者たちを震え上がらせることが一族を守ることにつながると考えている。
桂の含みのある言葉に乗ることはなく、実津瀬は答えた。
「あの時は、舞の稽古で汗をかき、裸で寝たら風邪を引いたようで、朝起きたら悪寒がして立ち上がるのも辛い状態でしたので止む無く舞うことを諦めました。これまでの稽古を無にしてしまって、床の上で無念に思っていました」
 桂は振り向いて実津瀬を見て、また前を向いた。
「なら、すぐに舞を舞えるように精進し、その舞を披露するべきと思うが、夏以来疎かにしている。秋の大祭の時も舞う話があったはずだ。しかし、舞う準備ができていないと断ったのだろう。その後、やっと稽古場に行っているようだが、それほど身を入れて練習しているとは言えないらしいな」
 桂の言う言葉に、実津瀬は内心苦笑した。
 実津瀬の舞を気に入り、期待し、楽しみにしてくれている桂だからこそ、辛辣な言葉で練習しない実津瀬を叱咤する。
 今の実津瀬は稽古場には行くが一年前ほどの情熱を持って舞えていない。体が鈍らないように、舞の型を何回か舞うくらいで、邸に帰ってしまう。その様子を誰かから聞いているのだろう。
「申し訳ありません」
 自分は舞楽をする者ではない。子供の頃、宮廷の舞楽をまとめる一族である、現在、長官を務める麻奈見の舞う姿に憧れ、練習してきた。好きだからこそここまで上達したのだろうが、それだけであり、求められるから少しその依頼に応えて舞ってきただけで、謝る筋合いはないと思うが、桂には言い訳など通用しないだろうと思い、謝りの言葉を発した。
「まあ、麻奈見たち舞を舞う者からしたら、自分達の晴れの舞台にお前のような貴族の息子が重宝がられてしゃしゃり出てくるのは癪だったかもしれない。だから、毎回毎回お前が舞うこともないのかもしれないな」
 桂の言葉は、その通りだと思った。しかし、そう言われてしまうと、自分は舞を舞うのが仕事じゃない、などと思っていながら、あの舞台の上で舞っている者と同等の、いや、それ以上の舞を舞うことができるという気持ちが、むくりと首をもたげる。
 実津瀬は自分の胸の内を押さえつけて、桂の後ろをついて行った。
 階を下りて沓を履き、屋根の付いた廊下を歩いて、小さな館に辿り着いた。
 扉の前に立っていた従者が扉を開けた。
 桂に続いて部屋の中に入った。磨かれて平らになった石を敷きつめた床は、鏡のようにその上を歩く桂の姿を映していた。
 床から目を上げた。蔀を上げた窓には格子があるが、一つだけ花鳥を彫った板がはめ込まれている。その板の向こうには青々とした葉の茂る庭を見ることができた。
なんと手の込んだ贅沢な部屋だろうか。
「実津瀬」
 桂の呼びかけに顔を上げた。

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