New Romantics 第ニ部STAY(STAY GOLD) 第六章5

小説 STAY(STAY DOLD)

 真夜中に大王はひとり、王宮の奥にある神殿に入って膝をつき、祈りと供物を捧げた。
 束蕗原でも去が館の裏に作った祭壇に向かって祈り、蓮も祈った。井や鮎たち見習いも、そして束蕗原に住む者は皆、老いも若いも関係なく祈った。
 雨を降らせてください、と。
 皆の祈りが通じたのか、その翌日の夕方から雨がぽつぽつと降り始めた。
 前のように一晩で止んでしまうかもしれないと、住人達は桶や盥であれはどんなに小さいものでも外に出して、雨を受けた。中には、夜中に何回か起きて、盥にたまった水を家の中の甕に移し、また外に出して雨を受けた者もいた。
 それほどに皆、切実に雨を欲していた。
 蓮はいつもと同じ時間に目覚めた時、雨音が聞こえていることに安堵した。
 四日前に降った雨は一晩しか降らなかった。あれでは、束蕗原を湿らせただけで全然足りない。
 前よりも降り続いているのね。これで幾分か潤うわ。
 蓮は起き上がった。同じ部屋の仲間たちも覚めていたのか次々に体を起こした。
「雨がまだ降っているわね」
「そうね」
「これでは薬草園の仕事はできないわ」
「倉の中の整理の仕事をすればいいわ」
「写本をすればいいわ」
「雨が降るならいいわ。水が思うように使えないのは耐えられないもの」
 身支度をしながら、皆、思うことを話した。
「雨で顔を洗おうかしら」
「外に桶を出しておいたから水が溜まっているはずよ」
「首筋も胸も拭きたい」
「本当にね」
 皆が一斉に立ち上がって、褥を上げた。
 実際に外に出していた盥を一つ、二人が両端を持って部屋の前まで持って来た。その中に自分の白布を出して浸ける。それで顔や体を拭くと、べたつく肌がさっぱりして、皆少しばかり顔が明るくなった。
 朝餉を食べ終わった後、しとしとと降り続ける雨音を聴きながら、蓮は食堂で写本をした。
「蓮さん、本当に美しい文字です」
 井を始めとして見習い仲間たちに褒められて、蓮はよい気分になった。和気あいあいと普段時間がないためできていない勉強を各々が行った。
 蓮は気分転換に食堂の外に出て、渡り廊下から空を見上げた。厚い雲が覆い、雨を降らせ続けている。
 皆、もう少し降ってくれたら、川の水も枯れることはないだろうと、恵みの雨に感謝していた。
 夕餉を食べる時間になると、しとしとと降っていた雨の音がひときわ強くなった。
「うるさいほどね」
 鮎が言った。
 鮎は雨がひどくなったので、夫の厚巳と暮らす丘の下の家には帰らず、見習い仲間と一緒の部屋に泊まることにした。厚巳も同様に邸の従者や医術を学ぶ男たちと別の棟に泊まることにしたのだ。
「……怖いです。雨の勢いが強くなっていっているようで」
「でも、水がないよりましでしょう。今夜降ったら、明日の朝は晴れるのではないかしら」
 お粥と塩漬けにした青菜という質素な食事で、皆、雨が降り続けることの感想を言い合った。
 夜はそうそうに就寝した。
 蓮もいつものように衾を被り、目を瞑ると眠りの中に落ちて行った。
 しかし、突然眠りから覚めた。
 蓮が目を開けたとき、部屋では同じように目を覚まし、身じろぎする者が何人かいた。
 それは雨音がひときわ大きくなっていたからというのもあるが、その雨音の中で人の声が外から聞こえたからだ。
「誰かが呼んでいるような」
 そう呟く者がいた。
 声はこちらに近づいて来る。数人の男たちが怒鳴っているようだ。
 蓮は立ち上がって、妻戸を開けた。
 まだ夜で真っ暗なうえ、大量の雨で少しの先も見えない。その中から、ずぶ濡れの男が女人たちの住居前に現れた。
 去の屋敷の従者である。
「麓の住人達が館に来ている」
「怪我人ですか?」
「違う。川の水が溢れて、家が流されたらしい」
「家が流された……」
 部屋の者たちは皆起き上がって、蓮の後ろに集まって男の話を聞いた。
「この雨だ。川の水は溢れ出してもっと家が流されるだろう。こんな時、去様はここを目指して逃げろと言っておられる。これから住人は皆、ここを目指すはずだ。受けいれる準備をしないといけない。起きて支度をしてくれ」
「承知しました」
 皆、顔を見合わせて頷いた。
 その顔は緊張と不安、そして人々を助けなくてはいけないという使命感が窺えた。
 隣の部屋でも同じように妻戸から顔を出して男から同じ説明を受けている。
 先に説明を聞いた蓮たちは部屋の中で、着替えを済ませて食堂へ集まった。
 こんな雨の中、子供を抱き、年寄りの手を取って丘の上まで上がって来た住人達が疲れた顔で蹲っている。中には震えている者がいる。すぐに着古した上着を倉から出してきて肩に掛ける。子供は体が冷えて熱を出したりしてはいけないと、纏っている衣服を脱がせると、貫頭衣を頭から被せて体を温めた。
 炊き出しも始まって、薬湯を入れた粥が作られた。あるだけの椀を出して、少しずつ入れていく。疲労困憊の色を浮かべて人々は列になり、椀を受け取って家族たちで分けて食べる。
 去は高床式の倉に食料を備蓄していて、いざという時は惜しげもなく倉を開放して振る舞って来た。束蕗原の住人も去の館に行けば、身の安全は保障されるとわかっていて、皆、この場所を目指してくるのだった。
 蓮も薬湯粥をよそっては渡す仕事をしていたが、大勢の人が押し寄せて来て、食堂だけでは手狭になったので、逃げて来た者たちが座る場所に案内する仕事に回った。見習いや従者、侍女たちが寝泊まりする建物や廊下に誘導する必要があった。
 中には川が氾濫していることを知らず、水が家をなぎ倒してやっと知った者もいた。泳いで、何とか水から上がったが、木片で怪我をしたので母屋の一部屋にある診療所へと連れていった。
 私はどこに行ったらいいか。
 温かい食事が欲しい。
 子供が震えているから温めてあげたい。
 去の屋敷に仕える者だとわかるように、医師見習いや従者侍女は真っ赤に染めた襷を掛けている。その者が通ると袖を掴まれていろいろと尋ねられた。
 去の館はさながら戦の中の救護所のようになった。
「みんな、集まって」
 鮎が言った。
 食堂の前で、刻々と増え続ける逃げて来た人々に食事、座る場所、体を温める上着などの案内をしていた蓮たち見習いは、鮎の周りに集まった。
「逃げてくる人たちの話を聞くと、川が溢れて広い範囲で村は水に浸かっているよう。助けるために、男たちが麓に下りて行ったけど、水が流れ込んできて帰る道が寸断されたみたいなの。麓に下りて、逃げてくる人を誘導する係が足りていないそう。私たちも組になって、麓近くを見回って来てほしいの。途中で力尽きて蹲っている人もいるらしいから」
 雨の勢いは弱まることなく降り続いている。あれほど望んでいた雨だが、今では皆、早く止んで欲しいと思った。
 その場にいた六人が隣同士顔を見合わせて二人一組を組んだ。蓮は隣にいた井と組む。鮎の周りに集まった六人のうち、一人後ろに佇んでいたのが牧だったため、見習いの一人は少し躊躇が窺えた。
 それを見た蓮はすぐに牧の隣に行き。
「牧さん、私と組みになりましょう」
 と言った。
 牧と組むことになりそうだった見習いは少しほっとした表情になったが、牧は苦々しい顔をして、蓮から背けた。
「みんな、十分に気をつけて。無理なことはしないで。人を助けに行くのに、自分が助けられる方になっては元も子もないから」
 と鮎が言い、皆が頷いた。

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