New Romantics 第ニ部STAY(STAY GOLD) 第六章2

小説 STAY(STAY DOLD)

 束蕗原の晩夏。
 都も暑かったが、ここ束蕗原も暑い。
 都では小さな子たちと水遊びをして涼を取っていたが、ここではいち見習いの身分だから涼を取る暇はない。同じように暑さで弱る植物の世話をし、薬草を作り、怪我人や病人の世話をする。汗が滴り落ちるのを、使い古した白布を額に巻いて止めているような状態だ。
 涼を取ると言えば、一日置きに去の館がある丘の下を流れる川に足や手を浸けて涼むくらいだ。
「蓮さん、今日は一緒に川に行きましょう」
 昼間の作業が一段落して、蓮は鮎たちと日陰になっている樹々の根元に座って話しをしているところに別の組も作業が終わって、蓮たちが座っている木陰に集まって来た。
 その組に井もいて、蓮に走り寄り隣に座ると言った。
「そうね。ここ数日は川の水が多くて行けなかったものね」
「ええ。雨が上がると良いお天気で、少しでも動くと汗が噴き出てきます」
 井は腕に巻いていた白布を汗粒が浮き出ている額に当てた。
 そこへ一人で倉の方に向かって歩く牧が蓮たちが座っている木陰の脇の道を歩いていた。
「牧さん、一緒に涼みましょうよ」
 牧を見つけた蓮が言った。
 牧は一瞥した後。
「そんな大勢でいたら涼しいなんてことはないでしょう」
 と言って通り過ぎていった。
「牧さん!そんなこと言わなくてもいいでしょう」
 井が振り向いて言った。
 蓮がすぐに井の腕を掴んだ。
「いいのよ、井さん」
 腕を掴まなければ、井は立ち上がって牧に突っかかっていきそうな勢いだった。
「だって!」
「いいじゃない。今、牧さんはそんな気分ではないのでしょう」
「蓮さんは優し過ぎます。そんな気分でなくても、牧さんはあんなこと言わなくていいと思います」
「そうね。牧さんも憎まれ口を叩かなくてもいいのにね」
 井はもっと言いたそうだったが、蓮は言うと隣の人の話に耳を傾けたので、それ以上言葉を継げなかった。
 蓮は牧の行動が気になっていた。
 牧は母屋の方から歩いて来た。母屋に用事があったのか、それとも用もないのに母屋に近づいたのか。
 こんなこと、気にする必要はないはずなのに……、と蓮は自分の気持ちを抑えようとする。
 半月前に去が体調を崩した。風邪のような症状で、寝込んだのだ。
 丁度都から一泊の予定でお客さまが来ていた。その客は体調の悪い去を気遣って、もう一泊して看病することにした。薬草を調合して熱に効く薬湯を作り、寝込んだ去に手ずから飲ませて見守った。薬湯はよく効いて、去の熱は下がり安静にしていればよいだろうと、去自身もそう診たので、客は都で用事があるからと、昼には馬に乗って帰って行った。
 去の年齢のことを考えると、熱が下がり気分が良いと言っても、余分に寝ていた方がいいと誰もが起き上がることを止めた。寝込んだ日は丁度、食堂で見習い達に講義をする日で、中止が伝えられた。去の体調が悪いというのは、黙っていても近くに仕えている者たちの口から漏れるものだから、そのことは包み隠さず伝えられた。
皆、去を気遣い、早く良くなることを祈った。
 蓮も去のことが心配で胸が痛かった。本当なら、一番近くで寄り添って、看病しているはずなのにそれができない。体が去の元へ走り出しそうなのを抑えて、仲間たちと去が早く良くなることを願う言葉を掛け合った。
 そんな話の中で、都から来ていた医師がもう一晩泊まって去を看病した、という話はすぐに去の館を駆け巡った。
 その人は、きっと伊緒理だ、と蓮は思った。
 伊緒理が傍にいるなら安心だ。
 それから、二日後、驚くことにまたその医師は都の用事を済ませて去の元を訪れたのだった。
 蓮たちはいつものように、薬草園や倉、食堂で作業をしていた。薬草園で抜いた雑草を集めて厩に持って行ったところに、一頭の馬が飛び込んできた。
 何事かと草を運んでいた蓮とその日、同じ作業をしていた見習いたちは驚いた。
「どなたの遣いの方でしょうか?」
 蓮たちの草の置き場所を指示していた厩の男が訊ねた。
「私は椎葉伊緒理というものです」
 馬を降りた男はそう名乗った。
「あっ!椎葉様、失礼しました。今日、こちらにいらっしゃるとは聞いておりませんでしたので」
 厩の男は降り立った男の顔を見て恐縮した。
「去様のことが気になって、前触れもなく来たのだ。洗(あら)井(い)殿に取り次いでいただけないだろうか」
 洗井というのは、去の弟子にあたる男医師である。束蕗原で早くから去について学んできた。
「承知しました。こちらに」
 馬の手綱を別の男に預けると、男は伊緒理を連れて母屋に向かった。
 厩の前で端によってその様子を見ていた蓮は、突然現れた伊緒理の姿に目を瞠って見ているだけだった。
 立ち居振る舞い、声、そして伊緒理の顔の表情。近くで見て聞くことができて、蓮の心は踊った。少女だった頃の自分が憧れ、好きになった伊緒理だった。
 去を心配して、都の用が済んだらまた束蕗原に来るなんて、優しい人。
 蓮が母屋に向かう伊緒理の背中を蓮と同じように見つめる者がいた。
 その日、同じ組になって作業をしていた、牧だ。さぼることなく、薬草園から集めた草をざるに入れて持って来た。
 牧の視線に蓮は気づいた。前に牧が都から来る男医師を気に掛けていることを聞いていた。
 牧が伊緒理を気に入った。
 ただそれだけなのに、蓮は不安になる。
 牧が幾人かの束蕗原の男たちと噂になっている不誠実な女という風評。そんな人が伊緒理に近づいて、伊緒理が迷惑することが嫌なのだ。
 そう思おうと思ったが、蓮は自分の気持ちを隠さないでおこうと思った。
 私は伊緒理のことを再び想っている。二度と会えないと思っていた初恋の人がこんなにも身近にいることで、胸の内はざわめいている。
 恋人になりたいなんてことは思わない。伊緒理の幸せを願っているだけ。伊緒理を幸せにする女人がいるのであれば、それは喜ばしいことと思う。だけど、それが牧だ、というなら、嫉妬する。牧でよいなら私でもよいはずだ、という気になるのだ。だから、心が落ち着かない。伊緒理が牧を選ぶはずがない、と思う反面、そんなことは誰もわからない。
 だから、今も、母屋の方から歩いて来た牧に、見習い達と仲良くなってもらいたいという気持ちもあるが、母屋で何をしていたのかを知りたいという気持ちもあった。
 こんな気持ちを抱くなんて、いけないことだと蓮は思っている。
 伊緒理を秘かに想うだけにしなくては、と。

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