New Romantics 第ニ部STAY(STAY GOLD) 第六章1

小説 STAY(STAY DOLD)

 蓮は同僚の井と夕餉を食べ終えて、食堂の扉の前まで行った。
「雨はどうなったでしょうか?」
 後ろを歩く井が言った。
「夕立ね。とてもひどい雨だった」
 蓮が答えて、扉を押した。
 夕方、急に空が真っ暗になり、雨雲が束蕗原を覆った。そして、ぽつぽつと雨が降り始めたと思ったら、割った竹を地面に何度も叩きつけたような音がして、大量の雨が降って来たのだった。
 蓮たちは食堂に駆け込み、夕餉を食べている間に雨が通り過ぎたらいい、と思っていた。
 今は扉の向こうは屋根から滴り落ちる雫はあるが、雨は降っていなかった。
「もう止んだようね」
「雨のおかげで、蒸し暑さがなくなりましたね」
 蓮と井は食堂を出て、建物を結ぶ屋根付きの廊下から外を窺った。
 雨に濡れた庭の植物の緑がきれいに見える。
「草木はこの雨で精気を取り戻したように見えます」
 井の言葉に蓮は頷いた。
 植物も人間も連日の暑さにぐったりしていたが、夕立のおかげで雨の後の涼しさにしばらく浸っていた。
 そこへ牧が母屋に続く廊下を食堂に向かって歩いて来た。
 相変わらず牧と他の見習いの女人たちとの間には軋轢があった。そんな気配を感じさせないように蓮は牧に微笑みかけたが、牧はつんっと鼻先を蓮とは反対の方へ向けて、食堂の中へと入って行った。
「牧さん、相変わらず嫌な感じですね」
 井は食堂の扉が閉まるのを待って、言った。
「そうね。なかなか仲良くはなれないわね」
 蓮は応えた。そして、二人は自然と寝起きする長屋へと足を向けた、
「今はひんやりしているから、寝る時は少しは楽かしらね」
 毎日、寝苦しい夜が続き、数人が同じ部屋で寝起きしている見習い達にとっては、大変な季節だった。
 長屋まで戻ると、夜の挨拶をして蓮は井と別れて、自分のあてがわれている部屋へと入った。既に夕餉を食べ終えて、寝るまでの間の時間を寛いでいる者がいる。蓮も褥を敷いて寝る準備をしていたが、ふっと立ち上がって部屋を出た。蓮が部屋を出たことを気に留める者はいない。
 母屋に通じる廊下に戻り、しばらく行ってから廊下を外れて、夕立のぬかるみの中を裾が濡れないように気を付けて、蓮は森の中に入って行った。
「曜、待たせたわね」
 樹の幹に背を預けていた女人が振り向いた。
「いいえ。蓮様、お久しぶりにお顔を見ます」
 森の中で待っていたのは、都から束蕗原についてきてくれて、蓮の侍女の曜だった。日頃は去の傍で働いていて会うことはないが、今日は手紙の受け渡しの役がまわって来て、蓮は久しぶりに曜と会うことができた。
 都から届く手紙は去の元に届けられる。それを、去の側近の侍女が蓮に渡してくれるのだった。
 さっきも食堂から出た時に、母屋に通じる廊下を歩き牧の後ろに立っている曜の姿を見て、蓮は何か都からの連絡があったのだと知った。
 蓮が去や岩城家との関係があることを隠すために、今も、一旦部屋に戻ってと時間をかけて曜の元に来た。
「曜はどう?不便なことはない?体の調子は?」
「いいえ、私は至って健康で、心地よく働かせてもらっています」
 曜は答えて、少しばかり眉根を寄せた。
「蓮様はいかがですか?前よりもお痩せになった気がします」
 都ではふっくらとしていた頬が束蕗原に来て少しほっそりとしたと思っていたが、半年以上たった今はこけたと思うほどだった。
「そうかしら?みんなと同じものを食べているし、量も他の人よりたくさん食べることもあるのだけど」
 そう言って、蓮は首を傾げた。
 都では、朝夕の食事は豪華で、それ以外でも地方からもたらされた食べ物を皆で囲んで食べたり、食事の間に庭に成った果物を間につまんだりしていた。束蕗原では基本、朝夕の食事だけで、朝早くから立ち働いている。これでは痩せていくばかりだと思った。
「蓮様、どうか、お体だけは気を付けて」
 曜の言葉に蓮は微笑んだ。
「心配いらないわよ」
 曜は頷いてから、胸から紙を取り出した。蓮は受け取り、曜は母屋の方へ小走りで向かった。曜の背中を見送って、蓮は木の幹に背を預けた。
 蓮は一つ息をついて、手紙を開いた。
 きっと月の宴の舞対決の結果を知らせるものだと予感していたが、その通りだった。
 結果は、実津瀬が勝ったと書かれていた。
 よかった……
 蓮は目を閉じて、月の宴の舞の舞台を想像した。
 頭の中に描くのは前に見た月の宴だ。一族みんなで観覧の間に並んで実津瀬の舞を見た時のことを思い出した。舞の対決となったら、あの時よりも熱気を帯びたものになっただろう。勝ったとわかれば、皆が実津瀬の勝利を飛び上がんばかりに喜んだだろう。もし、私が都にいたら……。
 一族と共に兄の勝利を信じ、それが現実となった時を一緒に喜べたのに。
 蓮は少し目尻が湿るのを感じた。実津瀬の勝利の喜びとその時その場にいられなかった寂しさが入り混じったものだった。
 涙がこぼれないように、雲に覆われた真っ暗な夜空を見上げた。
 雲間から小さな星の明かりが見えるかもしれない。
 蓮は目を凝らした。そうしているうちに、気持ちも落ち着いて、もたれていた幹から体を離した。
 明日も朝は早い。戻らなくては。
 手紙を小さく折りたたんで、胸の中に忍ばせて、蓮は部屋に戻った。

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