New Romantics 第ニ部STAY(STAY GOLD) 第五章13

小説 STAY(STAY DOLD)

 大王が手を叩くのをやめると、その動きを見て左右の観覧の間の近いところから拍手は止んでいく。そこで、桂が立ちあがった。
「大王、いかがだったでしょうか」
「面白かった!よいものを見せてもらった」
「ありがたいお言葉。私も、二人の舞に感動しました」
 大王と桂が話している間に、実津瀬と朱鷺世は舞台の後方の階を下りて、脇を周って大王の前の階の下に着いた。
「二人とも、ご苦労であった」
 桂の言葉に二人は跪いて頭を垂れた。
「では、いかがでしょう。これは勝負です。どちらがより優れていたかを決めなくてはいけません。どうか、大王、どちらが勝っていたか、おっしゃってください」
 桂は頭を下げて大王の返事を待った。
 大王は目の前の階の下で跪く二人を見、それから自分の右側に立っている桂を見て、もう一度階下の二人に視線を戻した。
「桂……」
「……はい、大王」
「二人の舞は本当に素晴らしかった。この暑い夏の夜をとても楽しめた。……しかし、どちらが勝っていたか、というと朕にはきめられぬ。どちらも勝ちなどと、言ってはいけないのだろう」
 顔を上げた桂は大王の言葉に微笑んだが、誰にでもどちらも勝ちなどと言ってはだめだと言っている顔に見えた。
「……やはり、朕は決められない。桂、あなたが決めておくれ。舞のことがよくわかっている桂なら、素晴らしいかった二人の舞の少しの差もわかっているのだろう」
「私がですか?……大王、よいのですか?私が決めて」
「ああ、よい。桂の判定が私の判定だ」
「……大王のお言葉に甘えさせていただきます。しかし、その前に……」
 と、桂は言葉を切って、階下に跪く二人に視線を落とした。
 桂の言葉を聞くために、ざわついていた観覧の間がしんとした静かになった。
 桂はまなじりに涙が浮かび上がるのを堪えて、大王を振り返った。
「二人舞が本当に素晴らしかったことに触れたいと思います。これは対決です。相手が間違いをすれば、確実に自分が勝つはずです。ですから、性根の悪い者であれば、相手の間違いを誘うような舞を二人舞の時に仕掛けて、調子を狂わせることもできたはずです。しかし、二人はそのような素振りはありませんでした。それよりも一人前の始まる前、終わった後の二人舞の息の合っていること。お互いの動きを感じ合って、どこまでも同時でした。上げた手、前に出す足。その瞬間、高さ、どれも揃っていました。それは二人が、我々に最高の二人舞を見せようと力を合わせて舞ったからです。私は舞のすばらしさと共に、二人の心に感動しました。それから、それぞれの一人舞です。今、伝統的な舞の型を極めているのはこの二人でしょう。その型を舞いつつも独創的な動きを取り入れた舞を見せてくれました。実津瀬はしゃがんで立ってと今までにない動きの舞でした。大きな動きに目を瞠りました。朱鷺世は雅楽寮の舞人らしく、伝統的な型に少し変化をつけたしなやかな舞でした。朱鷺世の体を活かしたものでした。大王が決められないとおっしゃるのはごもっともです」
 と言って、桂は黙った。
 桂にとっても二人の舞に優劣をつけるのは苦しいことだった。
 ともすれば、二人の舞の感動が込み上げてくる。
 しかし、この非情な決断を持ち掛けたのは自分である。それを拒むことはおかしなことだ。
 桂は顔を大王に向けた。
「大王……決めました。……私は、この宴での舞は、岩城実津瀬がわずかに勝っていると思いました。ですから、この勝負は岩城実津瀬の勝ちとしたいと思います」
 大王は頷いて、階下の舞手二人に言った。
「この勝負の勝者は、岩城実津瀬とする」
 大王の言葉で、静かにその時を待っていた観覧の間はどよめいた。
 二人への称賛の言葉の嵐であるが、正面左の観覧の間からはひときわ大きな歓声が上がった。岩城一族が陣取っている部屋である。
 拍手、歓声が大王の前に跪く二人に降りそそいだ。
 勝者は岩城実津瀬と聞こえた時、朱鷺世は思わず顔を上げてしまいそうになった。隣にいる岩城実津瀬が動かないことに気づいて、動く体を必死で抑えた。
 このいけ好かない男に負けたのか……。
 朱鷺世はその現実を受け入れるしかなかった。
「桂!桂が作った衣装も良かった。舞に華を添えていた」
 大王は思い出したように、桂に向かって言った。
「感謝申し上げます、大王。二人の素晴らしい舞に華が添えられたと思うと、大王の女官たちをお借りして作った甲斐がありました」
 桂の言葉に大王は笑顔になって何度も頷いた。
「大王、少しばかり二人に声を掛けていいでしょうか」
 桂は笑顔を引っ込めて、大王に許しを請うた。
「ああ、よいぞ」
 大王の言葉が終わると桂は三歩ほど前に進み、大王の手前で止まって話し始めた。
「朱鷺世……私はお前を負けと判定したわけではない。詭弁に聞こえるかもしれないが、朱鷺世の舞は素晴らしかった。感動した。この先、私はお前の舞を何度も欲することは間違いない。これからも精進しておくれ」
 朱鷺世は桂の言葉にさらに一段と頭を下げた。
「大王、私の言いたいことは以上です。ありがとうございます」
 桂は自分の席に後ずさりして戻った。
「二人とも、よくやってくれた。朕は満足だ」
 大王の言葉に二人は一度頭を上げてから、深く頭を下げた。
 階の下に立っている文官が、下がってよい、と声を掛けて、二人は立ち上がり、舞台の後ろへと回った。
 観覧の間から二人の素晴らしい舞を称える言葉がいくつも投げかけられた。
 舞台の後ろから、庭に入って行くところに淡路が立っていた。
「実津瀬、よかったな。朱鷺世……よくやった」
 淡路は言って、朱鷺世の腕を掴んで一緒に控えの間について来てくれた。
 自分では気づいていなかったが、朱鷺世の足取りがおぼつかないのだった。緊張、熱気で体がおかしくなっているのは実津瀬も同じであるが、最後に勝負に勝った者と負けた者の差で、勝った者の足は軽い。
 控えの間の前の階を上がると、付き人が寄って来て桂が作った衣装を脱がせてくれた。脱ぐと、その下の下着は水をぶっかけられたようにびっしょりと汗を含んで濡れていた。そこへ夜の涼やかな空気が当たって火照った体を冷ました。
 二つの盥に翔丘殿の井戸から汲み上げられた水が入れられて、その隣には箱の中にたたまれた白布が置かれていた。
 実津瀬は上半身の肌着を脱ぐと、白布を盥の中に入れて、右手で自分の左腕に水をかけて汗を流し、次は左手で右腕に水を掛けた。それが終わると、盥の中の白布を取り上げて絞り、胸や脇を拭った。
 椀に入った冷たい水が盆に載ってやって来た。実津瀬の前に差し出されて、実津瀬は受け取りぐいっと一気に飲み干した。
 朱鷺世の前にも盆は差し出された。
 階の一番上の段に腰かけている朱鷺世に代わって、淡路が盆から椀を取って朱鷺世の手に握らせた。朱鷺世も実津瀬と同じで一気に飲み干した。
「もう一杯……もらえないか」
 かすれた声で朱鷺世は言った。
「おい、水をくれ」
 淡路が水差しを持って立っている男に言った。
 ぼうっとして立っていた男はまだ少年と呼ぶほどの年頃であった。慌てて、淡路が突き出した椀に水を注いだ。
「ほらよ」
 朱鷺世は黙って淡路から椀を受け取り、今度は数回に分けて水を飲み干した。
 その間に実津瀬は、奥の部屋に入って、着替えを済ませて出て来た。
 今から、大王や貴族たちは酒と食事の時間である。臣下の最高位に君臨する岩城一族の一員である実津瀬には席が用意されているため、早々に着替えて会場へと向かうのだった。
 舞の見物に来ていた一族の子女たちをはじめ多くの人が、邸に帰るための声が聞こえた。
 騒がしい中を朱鷺世は黙って座っているのだった。

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