New Romantics 第ニ部STAY(STAY GOLD) 第七章8

小説 STAY(STAY DOLD)

 今日の典薬寮の出仕に蓮は鋳流巳を連れて行った。
 典薬寮に出仕し始めて、今日で五回目である。
 最初は父の実言が、二回目、三回目は兄の実津瀬が付き添ってくれたが、四回目以降は従者、侍女だけの付き添いになった。四回目は鋳流巳と曜とで、今日の五回目は鋳流巳だけを連れて典薬寮に来た。
 いつものように蓮の世話役である賀田彦が玄関前に立っていた。
「いらっしゃいませ、蓮様」
「いつも、ご苦労さま。もう部屋に行く道は覚えたから一人でも行けるわ」
「はい。それはわかっていますが、今日はこれまでとは別のお部屋にご案内する必要がありますので、お待ちしておりました」
「そうなのですか」
 蓮は賀田彦の後ろをついて行った。
 確かにいつも通されている部屋の前を素通りして、奥へと進んだ。
「今日は何があるのですか?」
 蓮は訊ねたが、賀田彦は部屋に着いたら説明がありますとだけ言って詳しいことは言わない。
 中庭を囲む簀子縁を通って、御簾が上がった入口から入ると、二人の男と一人の女人が部屋の中にいた。
 真ん中に一人の初老の男性が座り、その両脇に向かい合うように男女が座っていた。
「どうぞ」
 賀田彦が囁き声で言って、蓮は庇の間から奥の部屋に入った。
「蓮殿、こちらに座ってください」
 正面に座っている初老の男性の正面に座るように、その男性の左側に座っている男、伊緒理が言った。
「はい……失礼します」
 蓮は用意された円座に腰を下ろした。
「海渡様、こちらが蓮殿です」
 伊緒理が正面の男に蓮を紹介した。海渡と呼ばれた男は目を細めて微笑んでいる。
「蓮殿、こちらは典薬寮の医師である海渡様だ。こちらは宮殿の女官である朱殿だ」
 蓮は正面の海渡医師に頭を下げて顔を上げた。女人は顔を蓮の方へ向けて会釈をしたので、蓮も返した。
「海渡医師は有馬王子の第二妃である藍様の健康についてお世話をされている。朱殿は藍様の身の回りをお世話されている侍女である。今日蓮度には一緒に藍様のところへ行っていただこうと思う」
「藍様のところにですか」
 蓮は藍に会えると聞いて、飛び上がりそうなほど嬉しさが込み上げてきたが、はしゃいだ態度を見せてはいけないと上ずる声を抑えた。
「藍様にも蓮殿が典薬寮に出仕していることは伝わっていて、蓮殿に会いたいとおっしゃっているというお話は朱殿から伺っていたのです。しかし都合が合わず叶わないままでしたが、今日は海渡様が定期的に藍様の体のご様子をお聞きするために訪問する日で、丁度蓮殿の出仕の日と重なりました。蓮殿は宮殿の様子やそこに住まわれる女人たちとの関わりについて知っていただきたいと思います」
 蓮は伊緒理の言葉に大きく頷いた。
「では、行きましょう」
 伊緒理の言葉で、皆は立ち上がり宮殿に行く準備をした。
 朱という侍女はいつもなら、宮殿の藍が住む館で待っているのだが、今日は急遽、入室許可証を自ら持って来たのだった。
 典薬寮の建物から歩いて、宮殿の門を通り、大王の親族が住まう邸が立ち並ぶ区画へと来た。
 伊緒理は朱から手渡されていた許可証となる木片を懐から出した。番人が書かれた数字が同じ木片を取り出して合わせ、二つの木片の切れ目はぴったりと合うことを確認した。これで、許可を得ている者の証として、この先の部屋へと通れるのだった。
 朱の案内により朱、海渡医師、伊緒理、蓮、そして賀田彦の順で簀子縁をどんどん奥へと進んだ。
 大分奥に進んだところで、御簾の上がった入口の前に若い侍女が立っていた。朱は中に入ると、庇の間に立ち止まって、海渡医師、伊緒理、蓮を入れるとその先に進むように手の先で示した。先頭を歩く海渡医師の頭が奥の部屋から見えた時、声がした。
「あら、海渡医師、いらしてくださったのね」
 蓮はその声を聞くと懐かしくなって、胸が高鳴った。
海渡医師が藍の正面に座り、その後ろに伊緒理と蓮が並んで座った。朱は藍の後ろに控えた。
「藍様、いかがお過ごしでしたか?前回お伺いした時から少し間が空いてしまいましたが」
「はい。寒いと咳が出で、皆が心配するのですが、典薬寮で処方してもらったら薬湯を飲むとそれも治まっていますのよ」
「咳が出るのですか?今、お顔を拝見するには、お加減は悪くないようですが?」
「朝や、夜が寒いとたまに咳が出るのです。周りの者が、すぐに台所に飛んで行って典薬寮で作ってもらったら薬草を煎じて持って来てくれるのですよ。それを飲むと体の内側から温かくなって、咳も治まります。万が一風邪を引いていて、有馬王子にうつしでもしたら大変ですから、王子がいらっしゃる前にも薬湯を飲んでいます」
「そうでいらっしゃいますか。我々の処方した薬湯が効いているということであれば、嬉しいことです。薬湯にする薬を選んでいるのは後ろにおります、椎葉伊緒理でございます。陶国にも留学したことのある典薬寮きっての薬草の知識を持っている者です」
 と言って、左後ろにいる伊緒理を見た。伊緒理は神妙な顔をして頭を下げた。
「藍様の気になる症状に合わせた薬湯を作ってくれるでしょう」
「頼もしいこと。海渡医師と伊緒理医師、これからもよろしく」
 藍は言ってほほ笑んだ。
 蓮は海渡医師の右後ろに座り、藍と海渡医師のやり取りを聞いて、驚いた。有馬王子の元に嫁ぐ前の藍は控えめな、口数の少ない娘だった。しかし、今は海渡医師を前にして堂々と話をしている。有馬王子の妃としての風格を感じる。
 そして、嫁ぐ前も一族一の評判の美貌の娘だったが、有馬王子の妃になった今はさらに美しくなっている。
 人は地位や立場が変わればこうも変わるものかと思った。
 立派なお妃さまになって、本当に頼もしいわね。
 蓮は自然と笑みがこぼれた。
「では、また体の温まる薬湯を作れるように薬草をお届けしましょう。そのほかに、何か不調なことはありませんか?ご気分が悪くなることなどは……」
「ええ、今のところないわ」
「それは良いことです。何かありましたらすぐにでも遣いを寄こしてください。それでは、また、次の定期面会日にお会いしましょう」
 海渡医師は言って、立ち上がった。伊緒理も立ち上がろうとしたので蓮もそれに習った。すると、伊緒理が手を上げて蓮を制止した。
「蓮、あなたは藍様の時間が許す限りここに残ってお話をしたらいい。藍様はそれをお望みだ。あなたを連れて来た理由はそれが一番だよ」
 伊緒理が言った。
「お話が終わったら賀田彦と一緒に典薬寮に戻っておいで。待っているから」
 続けて、より小さな声で言って、唇の端をにっと上げて笑うと、伊緒理は藍に頭を下げて、海渡医師の後を追った。二人の足音が庇の間を抜けて簀子縁に出たと思われたところで、藍が言った。
「蓮!もっと近くに来て」
 藍は結婚する前と同じ親しみを込めて手招きした。
 蓮は膝立ちになって近づいた。
「久しぶりね。もう何年も会っていなかった」
「はい。藍様もお元気そうで何よりです」
 藍が差し出した手を蓮は両手で包み、握った。
「私が有馬王子に嫁ぐ時は榧が手伝ってくれた。嫁いだ後に時間があれば蓮と話したいと思っていたけど、それから蓮は都の外へ行ったのでしょう。榧が姉さまがいなくて寂しいと言っていたもの。そうしたら、今年に入って典薬寮に出仕することになったと聞いて!それであれば、今日のように来てもらおうと思ったの。宮殿での用事があって、予定が合わなかったけど、今日、海渡医師との面会に合わせて会うことができてよかった。嬉しいわ」
「私も嬉しいです」
「これからはこうして、海渡医師や典薬寮の医官たちが来るときはもちろん、一人でもここに来て欲しいわ。皆、私を気遣ってくれるけど、本当に心を許せるのは後ろにいる朱だけ。蓮と頻繁に会えたら、なんと心強いことか」
「はい。私も、藍様のお力になりたいです」
「ふふふ。藍様だなんて、昔のように藍と呼んで欲しい。……今は朱しかいないので、気にしなくてもいいのよ」
「……藍」
「はい」
「……いや、やはり、藍様と呼ぶ方がいいかしら」
「もう、そんなこと気にしないで。私が寛げないわ!」
 蓮と藍は言って笑い合った。
「では、藍……こうしてまた会えて嬉しいわ。私が知っている藍とは少し変わってしまったと思うけど。この二年の間にお妃さまの貫禄がついて見違えるよう」
「……そうかしら?」
「ええ、そうよ。美しく、優しい」
「……蓮……私はお父さま、お母さまだけではなく、岩城一族みんなに大事にされていた。だから、とても世間知らずだったと思うわ。人の悪意なんて感じたこともなかったと思うもの。でも、有馬王子の元に嫁いで、宮中のことに疎い私は周りの者たちに笑われたり、陰口を叩かれたり、あからさまな意地悪をされたりしたのよ。私はどうしてこんな気持ちにさせられるのだろう、とただ外の景色を見ているだけなのに涙がこぼれた。私の気持ちがわかるのは……お義母さまである碧様だけだった。泣いてしまって顔が腫れて、部屋から出られない時は、碧様が来てくださって、ご自分が嫁がれた時のことを話して聞かせてくださって励まされたわ。初めは、部屋の外に出るのも怖くて仕方がなかったけど、碧様の助けもあり、ここの暮らしのこともわかって、慣れて、今のような私になったのです」
 藍の告白に蓮は握っている手に力を込めた。
「……そうだったの……。私……藍の元にもっと早く来られたらよかったのに……」
「いいえ……榧が二度ほどここを訪ねてくれて、話を聞いてくれたわ。私が落ち込んでいるのを聞いて、実言叔父様が榧を連れて来てくれたのよ。辛い目に遭っても私を助けてくれるのは岩城一族。……とても心強いわ。次は蓮がこうして私を助けてくれるのだからね」
「ええ、そうね。私も都を離れていたから、藍が辛い思いをしているなんて知らなかったわ。こうして典薬寮に出仕して、藍と会う機会を得られて、これからは藍を支えるわ」
「うふふ。……嬉しい」
 そう言って、藍も蓮の手を強く握った。
 時間が来たと後ろに控える朱が言ったので、蓮は元いた場所に戻った。
「蓮、また近いうちに会いましょうね」
「はい、もちろんです。藍様」
 蓮は深く礼をして立ち上がり、朱に伴われて部屋を出た。
 渡り廊下の手前で前を歩く朱が振り返った。
「蓮様……私は藍様が岩城本家で生活されていた時から傍にいた侍女です。有馬王子の元に嫁がれる時に一緒に宮廷に来たのです。何があっても藍様をお守りするのが私の役目です。これから何かあれば私を使ってください」
 と囁いた。
 蓮が頷くと、朱は前を向いて渡り廊下を渡った。
 大王の弟が住まう宮殿も相当な広さで、蓮はどこをどう通っているのかわからなかった。そして、通行札の確認をした警備の者が立っているのを見て玄関に戻って来たことが分かった。足音を聞いて丁度、その手前の部屋から賀田彦が出て来た。朱に別れの挨拶をして、賀田彦に付き添われて蓮は典薬寮の館に戻った。

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