New Romantics 第ニ部STAY(STAY GOLD) 第七章6

小説 STAY(STAY DOLD)

 蓮と伊緒理と別れた実津瀬は、中務省の建物へと入って、棚から書類を持って来て昨日の続きの仕事を始めたが、それも、早々に切り上げて、同僚に挨拶をすると中務省を後にし、向かったのは雅楽寮の稽古場だった。
 梅から桃へ、花の季節は移り変わっていても、まだまだ気温は低く、厚着をして外に出ないと震えてしまう。しかし、稽古場の扉はいつものように開けられていて、中の熱気が扉から外に漏れていた。実津瀬は中へと入って行った。
「やぁ、実津瀬」
 扉の近くの壁に背を預けて立っていた淡路が実津瀬が入って来たのを見てすぐに声を掛けた。
「やあ」
 実津瀬も返事を返して淡路の隣に立った。
「今は、舞手たちで練習しているところなんだ。こちらも桜の時期にかけて宴や行事の準備がある。それに今日も実津瀬が来るとは思わなかった」
 昨日も実津瀬は稽古場を訪れて、隅で昨年舞った型を練習していた。
「来られる日は毎日でも来ようと思っている。麻奈見殿にも一言話しておかないといけないな」
 実津瀬は呟くように言った。
「どうした?昨年はここにはあまり来なかったように記憶しているが」
「……昨年と状況は違うじゃないか。……この半年私は何もしていない。あの舞手は日々鍛錬を重ねている。差ができることはわかりきっていること。でも、だから負けていいなんて思わない。負けてもいいと思う勝負なんてしない。昨年は私が勝ったから、今年はあなたが勝てばいいなんてことも思わない。そんな忖度が働くならくらいなら、この勝負は取りやめた方がいいだろう」
 実津瀬の強い口調に淡路は黙って頷いた。
「ほう、実津瀬ではないか!練習熱心なことはいいことだ」
 扉から声が聞こえて、実津瀬と淡路、稽古場にいた他の者たちも一斉に扉の方を見た。
 皆、声で誰が訪れたかはわかっている。
「桂様!」
 皆を代表するように実津瀬が桂の名を呼び、頭を下げた。皆がそれに習った。
「やめておくれ。みんな、頭を上げよ」
 桂が言うと、実津瀬、淡路、そして他の者たちは順に頭を上げた。
「今年も実津瀬とそして朱鷺世の勝負が見られる。練習も見たいので今日のようにここに足を運ぶ頻度は高くなる。そのたびに先ほどのようにいちいち頭を下げるのも大変だろう。これから、月の宴が終わるまではやめておくれ」
 桂は笑顔で言ったが、皆は緊張した面持ちを崩さなかった。
「実津瀬がいるとは好都合だ。麻奈見、実津瀬を呼ぶ手間が省けたな」
「はい」
 桂の後ろには護衛の従者ではなく、麻奈見が立っていた。
「麻奈見、先ほどの話を二人に伝えよう」
「はい。実津瀬、朱鷺世こちらに来ておくれ」
 麻奈見は二人を呼び、稽古場の隣にある雅楽寮の建物へと移動した。
 護衛の者が椅子を出して来て桂は座り、その前に実津瀬と朱鷺世は跪いた。
「実津瀬……すまないな。……もう舞はしないと言っていたのに、私のわがままで再び舞ってもらうことになった。申し出を受けてくれて感謝する」
 桂の言葉に実津瀬は一度深く頭を下げた。
「いいえ。私を再びあのような晴れがましい舞台に呼んでいただいて嬉しく思います」
「ふふふ……それが本心であれば私も嬉しい」
 桂は目を細めて笑い、最後は呟くように言った。そして気を取り直したように声を上げて言った。
「丁度、大王にお会いしてきたところだ。麻奈見にも来てもらって、今年の月の宴の対決についてお話しした。大王も昨年の月の宴はとても楽しまれたようで、今年の開催についてお話すると楽しみが増えたとおっしゃった。そう言っていただくと私も燃えるものがある。必ず昨年以上の催しにしたいと思っている」
 目を爛々とさせて話す桂は本当に嬉しそうだ。
「麻奈見、先ほどの話を二人に説明しておくれ」
 桂は気を取り直したように麻奈見に言った。
「はい、桂様。……二人とも」
 と言って、麻奈見は実津瀬と朱鷺世を見て、表情を窺い続きを話し始めた。
「昨年の対決では一人舞はそれぞれ自由に舞うことにしていたが、今年の宴の対決では決まった舞を一人舞でもすることにした。それぞれの思いがあるだろうから、観るものからすると同じ舞でも二人の舞への思いの違いが見えると思う。それを見てもらいたいというのが今回の狙いだ。二人舞の息の合った舞から、一人舞の同じ型なのに、それぞれの個性が出る舞を披露して大王に楽しんでいただきたいと思っている」
 そこで再び二人を見た。二人とも表情に変化はなく、神妙な面持ちで聞いている。
「昨年は自由に舞うことにしたからどのような型にするかで苦労したと思うが、今年はそのような苦労はない」
 麻奈見の言葉が終わると、桂が口を開いた。
「高い技術を持った二人の舞を私も楽しみにしている。修練の日々は大変だろうが、よろしく頼むよ」
 二人は同時に深く頭を下げた。
「練習の様子を見ようと思って来たが、実津瀬がいたから急遽このような話の場を設けた。今の話を聞いたら、これから麻奈見と打ち合わることもあるだろうから、今日はこれで帰ることにする」
 桂は言って立ちあがった。
「私は時々練習も見に来るから、二人とも嫌がらずに見せておくれ。では、失礼する」
 麻奈見が付き添って建物の扉まで行った。扉の前には、護衛と侍女が待っていて、護衛が扉を開けて、桂は外に出て行き、その二人を引き連れて帰って行った。
 見送りが終わった麻奈見は淡路を呼んで、部屋には四人が向かい合って立った。
「淡路、先ほど二人には説明したのだが、今年の月の宴は最初から最後まで二人が同じ舞をすることになった。どのような型で舞をするかは私たちが決める。すぐに案を考えてくれ」
 淡路は少々驚いた顔をしたが、すぐに頷いた。
「承知しました」
「二人とも、舞の型について少し時間をくれないか。二人の技量であれば、数度舞えば型は覚えてしまうと思う。しかしその後、己の中でどのように自分の形にするかを考える時間がいるだろうから、そんなに時間は取らないようにする。また、細かいところは全員で話し合いたい。これは勝負ではあるけれど、我々の思いはそれだけではないはずだ。見てくださる方の心に残る舞をしたい。楽しんでいただきたいという気持ちがある。だから、四人で、いや、音楽を担当する者たちも含めて今回も関わる者全員で作り上げていきたい」
 実津瀬は大きく頷いた。
 勝負に勝ちたいという気持ちはあるが、その気持ちを優先するあまり、舞台を台無しにしてもいいとは思わない。全ては良い舞台にすること、その上で勝負に勝つことが望むことだった。
「私は昨年の宴を最後に舞から遠ざかっていたので、何においても練習が必要です。時間があれば稽古場に来て練習したいと思っています。よろしいでしょうか」
 実津瀬が麻奈見に向かって言った。
「もちろんだ」
「朱鷺世殿」
 実津瀬が朱鷺世に顔を向けて言った。
 ぼうっと話を聞いていた朱鷺世は急に自分の名を、それも今まで一度も呼ばれたことのない相手から呼ばれて、顔を隣の男に振り向けた。
「稽古場に来た時は、どうか私の相手をしていただきたい。私はあなたに大きく溝をあけられている。私は必死にあなたの技量に追いつかなくてはいけないので、どうかお願いしたい」
 実津瀬は言って頭を下げた。
 朱鷺世の内心は驚き、どのように返していいのかわからず、無意識に頭を縦に振っていた。
「朱鷺世もそれはお願いしたいところだろう。稽古場には淡路がいるはずだし、実津瀬が来たら淡路も交えて練習をすることにしよう」 
 麻奈見が代わりに返事をした。
「有難うございます。よろしくお願いします」
 実津瀬は三人に頭を下げた。
「いや、こちらも実津瀬には感謝しかない。この勝負は実津瀬が受けてくれなければ始まらないものだった」
 淡路が言って頭を下げた。
「やめてくれよ、淡路。そんな堅苦しいことはしないでおくれ」
 実津瀬は言って笑った。
「それは実津瀬も同じだろう」
 顔を上げた淡路が言った。
 その様子を朱鷺世はじっと見つめていた。

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