New Romantics 第ニ部STAY(STAY GOLD) 第七章5

小説 STAY(STAY DOLD)

「蓮様、お待ちください」
 後ろで曜が言った。蓮ははっとして振り返った。
「すみません。人が多くて……歩くのも遅くて」
 曜が小走りに走って来た。
「いいのよ。私が早く歩いていたみたい」
「いいえ。私がいけないのです」
「ゆっくり行きましょう。……曜は待っている間、何をしていたの」
「典薬寮で働いている人達が休む部屋で待っていたのです。何をしているのか、どこから来たのかとお互いに話をして、庭を案内していただきました」
「そう……退屈はしなかったのね」
「はい。知らない人と話すのは楽しかったですよ」
 蓮は自分の胸に手を置いて、曜の歩調に合わせて歩いた。
 胸の手の下にある伊緒理からの手紙。
 これを早く読みたいと思ったら、自然と早く歩いていたようで、曜を置いてけぼりにしていた。
 やっと五条の邸に着いて自分の部屋に入ると。
「曜、疲れたでしょう。部屋で休んでいいのよ」
 すぐに蓮は言った。机の前に座り胸の間に手を入れて、伊緒理の手紙を触ったところで、簀子縁からこちらに近づいて来る足音が聞こえて、手を止めた。
「蓮」
 庇の間に入って来たのは父の実言だった。
「お父さま、どうなさったの?」
 蓮は胸から手だけを引き出し、膝に両手を置いて言った。
「今日はどうだった?何をしたんだい?大変なことはなかったかい?藍様とは会ったかい?」
 矢継ぎ早な質問に、蓮は何から答えたらいいのか戸惑った。
「ああ、すまないね」
 そんな蓮の顔を見て実言は頭をかいた。
「お父さま……心配してくださるのはありがたいのですが私ももう大人ですよ」
「それはわかっている」
「今日は、典薬寮でのお仕事について教えていただきました。そして、薬草の保管を見せてもらいました」
「そうか」
「藍様の話はまだありません。でも藍様とも、そのうち会えるはずです。その時はお父さまに報告に行きますから、それまで待っていてくださいね」
 蓮の言葉に実言は再び頭をかいて「わかった」と言って自室に戻って行った。
 ふう。
 蓮は静かに息を吐いた。
 これで手紙を読む邪魔は入らないはず。
 蓮は再び、上着の下に手を入れて今度こそ伊緒理から受け取った手紙を取り出した。
 どんなことが書いてあるのかしら。
 開くと、ぱっと目に入った伊緒理の手蹟。
 伊緒理が書いてくれたんだわ……。
 蓮は読む前から感激して、涙が滲んできた。
 
あなたに会えると思うと嬉しくて、いつもより早く目が覚めてしまった。
 そして、この手紙を書いている。
 これからあなたと共に働けると思うと、今まで以上に仕事に精が出る。あなたに情けない姿は見せられないと思って背筋が伸びる思いだ。
 近いうちに二人だけで会いたい。そうなれるように今、手を尽くしている。
 あなたも同じ気持ちであると嬉しいのだけど。
 
 誰宛とも、誰からとも書かれていない、短い手紙である。
 もし、これを誰か他の人の目に触れてしまった時の用心としてあえて書いていないのだと思った。
 私もあなたに会えると思っていつもよりも早く目が覚めたわ。そして、二人きりで……会いたいわ……。同じ気持ちよ、伊緒理……。
 蓮は目尻を押さえ、机に向かって、筆を取り紙にさらさらとその自慢の手蹟を走らせた。

 それから五日が経ち、蓮が出仕する日が来た。
 その日も実津瀬が付き添ってくれた。伊緒理が実津瀬に会いたがっていた、と言ったので、実津瀬が時間を作ったのだった。もう一人の付き添いは曜ではなく従者の鋳流巳だった。
 典薬寮の玄関に着くと、これまで案内してくれた賀田彦とその後ろにもう一人の人影が見えた。
「伊緒理!」
 蓮の隣に立つ実津瀬が手を上げて呼びかけた。
 賀田彦の後ろに立っていたのは伊緒理だった。
「実津瀬!」
 伊緒理も手を上げ笑顔で実津瀬を迎えた。
 実津瀬は伊緒理の前に立つと頭を下げた。
「お久しぶりです。本当は私がもっと早くに会いに来なければいけなかったのに、今になってしまって」
「何を言うんだ実津瀬。時間はあるかい?少し話をしないか」
「もちろんです」
「では、蓮も一緒に。薬草園を案内しよう」
 と言って、そのまま玄関から庭へとまわった。
 典薬寮の薬草園は小さい園で、薬草よりは目で見て楽しい色とりどりの花や実のなる樹が植えてあった。
「伊緒理、束蕗原で蓮を見つけてくれたのはあなただと去様から聞きました。そのお礼の気持ちを伝えなくてはと思っていたのですが行き違いで会えないまま、今日まで来てしまった。本当ならもっと早くにあなたに会いに行くべきだったのに」
「そんなことを思っていたのかい。実言様にも身に余る言葉を贈っていただいた。運よく私が見つけられただけなのに。気にしないでおくれよ。蓮を早く見つけることができてよかった」
 伊緒理の言葉に、父も伊緒理に感謝し、会って言葉をかけていたことを知った。蓮は改めて伊緒理が見つけてくれたことが奇跡であり、幸運だったと思った。
「父は父だよ。私からも言いたいんだ。妹が……蓮がいなくなってしまったらと思うと、もう心が凍る思いだった。あなたや去様のおかげで蓮はあの事故以前と同じように生活できている。そして、この度は典薬寮への出仕を推挙していただき、ありがとう」
「ああ、私だとわかっていたのだね」
「もちろん。束蕗原から戻って来た蓮には、これまで学んできたことを活かせる場所を与えてもらって感謝しています。蓮も今まで以上に勉強しています」
 そう言って、実津瀬は隣に立つ妹の肩を抱いた。
「うん。本当に蓮が来てくれたことはありがたいことなんだ。今日は典薬寮で働く女官たちと会ってもらおうと思っているんだ」
 実津瀬は伊緒理にまた会ってじっくりと話そうと言い、薬草園で別れて、蓮は伊緒理に連れられて典薬寮の建物の中に入った。
 これで二人きりになれると思ったが、階を上がると賀田彦が待っていた。
 胸には伊緒理への思いを書き連ねた手紙を忍ばせているが、それの渡し時が見つからない。
「では、蓮、今日は典薬寮の女官たちと会ってもらおう。賀田彦が案内をしてくれる。賀田彦、よろしく頼むよ」
 伊緒理は言って、あっさりと立ち去ってしまった。
「こちらです」
 賀田彦の言葉に、蓮は見送っていた伊緒理の背中から視線を賀田彦に移した。
「毎回あなたにお世話をしてもらって申し訳ないわね」
 伊緒理の背中を名残惜しそうにじっくり見ていたことを隠すように話し掛けた。
「……いいえ。伊緒理様より毎回の案内を仰せつかっておりますので、気になさらないでください」
 賀田彦は言った。
「そうなの。私のこと何か説明があったのかしら」
「はい。……幼馴染であると……そして聡明な女人で、私などよりよっぽど知識も経験もある方だから、お世話をしている気持ちでいたらだめだと。すぐにその知識の深さを知り、教えを乞いたいと思うはずだと言われました。……私にとって伊緒理様は尊敬する憧れの人です。その方がそうおっしゃるのですから、私はとても期待しています」
 真面目な男らしく、真顔で言う。
 蓮は恥ずかしそうに微笑んでみたが、内心は伊緒理と二人きりになった時に言ってやらなくちゃ、と思った。
 評価してくるのは嬉しいが、この青年に気を持たせすぎるのはいかがなものかと思う。しかし、その反面、伊緒理の期待に恥じない働きをしようと決意するのだった。
「こちらの部屋です」
 賀田彦と共に部屋に入ると、六人の女人が立っていた。
「みなさん、蓮様です」
 蓮は十二の目が一斉に自分に向いたのに、身が縮まる思いがした。
「皆様、蓮と申します。どうぞよろしくお願いします」
 蓮が深々と頭を下げると。
「あなたが蓮様」
「あの五条岩城家の」
「大変医術を勉強されているそうで」
「その手蹟はたいそうお上手だそうで」
「ここでも噂になっているほど」
 女官たち一人一人が一言一言を蓮に向かって放った。
 蓮は女人たちの顔をゆっくりと見回した。年は蓮よりも上の人が多そうだ。同年や少し年下の者と思える顔もある。
 束蕗原で女同士の仕事の進め方は鍛えられたと思うが、出仕した先でその経験まで役立つことになりそうとは考えていなかった。

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