母の礼と一番下の妹の珊が、芹は淳奈と、蓮はすぐ下の妹、榧と一緒に車に乗り込んだ。
宮廷での宴には、貴族の一族が入ることはできないが翔丘殿という大王の離宮では一族も月見と舞の観覧は許されている。だから、その日はいつも邸の中にいる妻や子供もこぞって参加するため、翔丘殿には車の列ができてしまう。その渋滞にはまるのを避けるため、五条岩城家の者たちは早くに邸を発って翔丘殿に向かった。
車の中で蓮が榧に言った。
「いいわね、その朱の上着。色も織もいいわ。深い碧の裳も、上着に合って映えるわね」
垂らし髪に頭上二髻に結った髪型も、榧の目の大きな可愛らしい顔に似合っていた。
「姉さまも黄色と桃色の明るい色が似合っているわよ」
蓮も今日のために新調した上着を着、髪は垂らさず一つにまとめて上に上げた姿である。
五条岩城家では実津瀬の晴れ舞台を全員めかし込んで見に行こうと言って今日のためにいくつか着ていく服を新しく作った。新調した服が出来上がると、五条の女たちは帯や領巾も含めてどのような色の組み合わせにするかを侍女たちを交えてああでもないこうでもないと話し合った。
その時は両親の部屋で女たちの大きな声がするのを不思議に思って、宗清が庭から階を上がって見にきた。
「何をしているの?」
「月の宴に来ていく服を選んでいるのよ」
ふーん、と興味なさそうに上着と裳の色の組み合わせを話し合っている五条の女たちの姿を眺めていた。
「昨年も、こうしてみんなでどのような組み合わせがいいかを話し合ったわね」
母の礼の言葉に榧と母の侍女である澪が頷いている。
昨年の月の宴の頃、蓮は束蕗原にいたからその時のことは実津瀬からの手紙でしか分からなかった。こうして皆と宴までの準備をすることは都に戻ったと実感するのだった。
月の宴当日、その衣装を着付けて、意気揚々と車に乗り込んだと言うわけである。
榧は色白で血色の良い頬に上着の朱と同じような色の口紅を載せた顔は少し緊張しているようだった。
その理由を蓮は察している。
自分の領地で生活している婚約者の実由羅王子がこの宴のために都に戻っているのだ。今夜の舞の観覧では、岩城家の桟敷で榧と一緒に舞を見ることになっている。
実由羅王子は新年を都で迎え、新年の宮廷行事に参加し終えたらすぐに領地の佐目浜に行ってしまった。都を離れる時に五条に来て、榧と話したきりである。
久しぶりに会うので身なりに気を使っている。女たちで何を着ていくかと話し合った時も、皆、榧の着る物に一番多くの時間を使った。二髻に結うのも衣装と合わせて皆で決めたのだった。
蓮はそっと榧に手を伸ばして膝の上の左手を握った。
「……姉さま?」
「楽しみね」
「はい。とても」
榧は力強く返事をした。
「実津瀬の舞もだけど、あなたは王子と久しぶりに会うのだから、それも楽しみでしょう」
「……はい」
そう言われると、榧は小さな声で返事をした。
「もっと、榧に会ってくださればいいのに。こんなに間が空いたら私だったら寂しいわ」
蓮は顔を険しくして言った。
「……王子は今が大切な時だと、お父さまに言われました。領地の統治、経営を学ぶことが将来の王子のために必要だからと。王子もそれをご自分で理解されていて、同じようなことをお話ししてくださいましたから……寂しくても……今は仕方のないことです」
「あら、王子もお話ししてくださっているのね。今は二人とも会えなくても我慢するしかないと。会えない時間が愛を育てると言うことね」
蓮はニヤニヤ笑った。
「姉さま!……からかわないで。王子とは幼馴染だもの。幼いころから一緒に遊んでたくさんの時間を過ごしてきたわ。だから、今はそう頻繁に会わなくてもいいのよ」
榧はむきになって言い返した。
「そうかしら?私は好きな人とずっと一緒にいたいと思うわ。違うかしら?」
蓮はそんな榧を尻目に自分の気持ちを率直に言った。
だから……月に数度の伊緒理との逢瀬は蓮にはなくてはならないものだった。どんな危険を冒しても、伊緒理に会いたい。濃密な触れ合いはもちろんだが、それだけが全てではない、二人きりでただ話すだけでもよかった。自分たちの時間を誰にも邪魔されずに過ごすことは幸せこの上ないものなのだ。
「私は今日会えるだけでいいの。王子もお父さまも言っているように、今が大事な時なのだから」
「そう?榧にとっても大事な時よ。今のあなたは二度とないのだから」
榧の言葉に蓮は間髪入れずに言った。
「……そうですね……」
榧は率直な姉の言葉に力無く相槌を打った。
「今日はお正月以来だもの。王子と沢山お話ししなさいな」
蓮は榧の暗い表情を見て取ったが、それ以上王子のことは言わなかった。
翔丘殿には五条岩城家が一番乗りだった。すぐに車から降りて、岩城一族があてがわれている部屋に入って、礼や蓮たちは広々とした部屋をあちこち見て回った。
庭の池を見に行こうと、蓮が珊を誘って、今いる東の建物の端に向かった。部屋に残った母の礼、榧と侍女たちで舞台のある庭を見ていると。
「あれ、母上と姉さまだけ?」
と声がした。
榧が振り返るとそこには弟の宗清が立っていた。
「蓮と珊は池を見に行ったわ」
母の礼が応えた。
「そうか、でも榧姉さまがいたらいいんだ」
「?」
そう言われて榧は首を傾げた。
「実由羅王子が着いたよ。姉さまに早く会いたいって言ってさ。今、父上と一緒に宴の準備をしている者たちに挨拶をしている。私は肝心の姉さまがいないといけないと思って、途中で別れてきた」
母に背中を支えられて、榧は庭の側から離れて部屋の中に入った。
「蓮姉さまだったら、またこの建物の先まで探しに行かないといけないからね」
宗清が話していると、廊下に実言の姿見えた。通り過ぎそうなところ、顔が部屋の中に向いて妻と娘がいるのに気づいた。
「やあ、よかった。予定通りに着いたんだね」
「はい」
実言の言葉に礼が応えた。
「やあ」
部屋の中に入ってきた実言の後ろから声がして、皆、そちらに注目した。実由羅王子がにこにこと満面の笑みを浮かべて部屋に入ってきた。
「礼、久しぶりですね。実言、実津瀬、宗清。五条岩城の男子には時々会っているのだけど、女性たちに会うのは正月ぶりです。会えて嬉しいです」
「はい、王子。私も同じ気持ちです。実言から王子の様子を聞いていますが、こうして元気なお姿を拝見できて嬉しいです」
礼は一段と腰を低くして返事した。
「ふふふ。外を走り回っているから日に焼けてね。誰よりも色黒になってしまった」
実由羅王子は礼と話した後、ゆっくりと隣に立つ榧に視線を移した。
「榧、会いたかった」
榧に向き合った実由羅王子は開口一番に言った。榧はぎこちなく頷いた。実由羅王子は手を伸ばして、お腹の前で重ねている榧の右手を取った。
この部屋の中の者は誰もが久しぶりに榧に会えた実由羅王子の喜びを痛いほど感じているが、当の榧はにこりと笑っているものの、実由羅王子と同量の情熱には見えなかった。
「あら、お父さま!来ていらしたの。まぁ、実由羅王子」
突然、廊下から声がして皆がその声に振り返った。そこには池の見物から戻った蓮と珊が立っていた。
「やあ、蓮。どこにいたの?」
実由羅王子は明るい蓮の言葉にすぐに答えた。
「この長い廊下の端には池があるのです。小川から水を引いていて、小さな魚が泳いでいるのですよ。それを珊と一緒に見に行っていたのです。そこから見える景色が美しかったです。夏に咲く花が沢山見えました」
「へえ、それは見てみたいな。榧は見たの?」
「いいえ、私はまだ」
榧が首を横に振った。
「では、行ってみよう」
実由羅王子は握っている榧の手を引いた。
「宗清、一緒に来ておくれ」
後ろを振り向いて実由羅王子は宗清に言い、部屋から出て行った。
皆は手を引かれる姿、引きずられているように見える榧の後ろ姿を見送っていると、本家の面々が到着した。まだまだ宴の開始時間には早く、渋滞を避けるために早めに翔丘殿に来たのだった。
本家の稲生、鷹野の妻、子供たちが現れた。鷹野の妻である房は芹の実の妹である。房は実家に住んだままで、鷹野が通っている。芹は父と仲が良くないので実家に寄りつかないため、このような日に房と会えるのは嬉しかった。
普段会えない面々が久しぶりに会って自由に話をしているところにひょっこりと実津瀬が現れた。
「ああ、皆、到着したのだな」
髪を一つに結い上げて化粧は済ませているが豪華な上着は着ないままで、自分の上着を羽織っている。
「実津瀬!」
「父さま」
実津瀬の姿を見た芹と淳奈は同時に声を上げた。実津瀬は淳奈の前にしゃがんだ。
「淳奈、おめかしして来たのだね。よく似合っているよ」
今朝、美豆良を結い直して、新調した衣装を纏った淳奈は父の声を聞いて、父だとわかっているが化粧をした顔を不思議そうに見つめた。
「あら、ダメよ、淳奈」
顔全体に白粉を塗り、際立てさせるために目を黒で縁取り、目尻を朱く塗った顔に手を伸ばそうとした淳奈の腕を芹は掴んで止めた。
「淳奈も父さまみたいな顔になりたい」
淳奈は母を見上げて言った。
「舞を舞う人だけがお父さまのようなお化粧ができるのよ。淳奈も大きくなって大勢の前で舞を舞うことがあれば、お父さまのようなお化粧ができるわ」
母に言われて淳奈は納得したのか手を下ろした。
「淳奈、おいで」
実津瀬は淳奈を抱き上げて、庭の近くに寄った。舞台の上では雅楽寮の役人たちが最終点検を行なっている。
「父さまはあの上で舞をするんだよ。淳奈、しっかりと見ておくれ」
淳奈はうんうんと大きく頷いた。
「榧と宗清は?一緒に来たんじゃないの?」
「実由羅王子が池を見に行こうといって、この部屋の端まで行っているわ」
母が応えた。
「王子がもう来られたの?」
「榧の顔が見たいからと早く出て来たんだ」
後ろから父の実言が言った。
「そう。王子とはまた後で会えるだろうから、そろそろ支度部屋に戻るよ」
実津瀬が言うと、家族が口々に健闘を祈る言葉を言って、実津瀬は破顔して感謝の言葉を述べた。淳奈を下ろすと淳奈の手を母の礼が取った。部屋を出て行く実津瀬に芹が付き添う。
「誰が舞うのだろうね?」
芹と向き合った実津瀬が言った。実津瀬の言っている意味がわからず芹は曖昧な笑みを見せた。
「私が舞うのに、芹の方が緊張した顔をしているよ」
「まぁ」
芹は声を上げた。
「心配しなくてもいい。昨夜あなたにかけてもらったまじないで、私の気持ちは平静だ。あなたもそんな顔をしないで、しっかりと私の舞を見ておくれよ」
「はい」
芹は笑顔になって返事をした。
実津瀬は芹の右手を強く握って、芹と同じように笑顔を見せて母屋の奥へと消えて行った。
New Romantics 第ニ部STAY(STAY GOLD) 第七章23

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