New Romantics 第ニ部STAY(STAY GOLD) 第七章15

小説 STAY(STAY DOLD)

 実津瀬と稲生は本家の従者を一人連れて、徒歩で佐保藁の宮へ向かった。
 門の前には番人が立っていて、松明の用意をしているところだった。実津瀬たちが名乗るとすぐに中に通された。
 玄関前まで来ると佐保藁の宮の従者が出てきた。そこで、本家から付き添ってきた従者とは別れて、実津瀬たちは庭へと案内された。
 あたりは夕闇が迫っていて、西の空だけが赤かった。
「こちらでございますよ」
 実津瀬は以前、桂に呼ばれて訪ねた時に通された、石畳の部屋に向かうのだと思ったら、案の定その部屋へと通された。
 そこにはすでに二人の男が立って待っていた。
「お二人とも、お座りになってください。主人はすぐには来ませんので」
 立って待っていたのは椎葉孝弥と倉加鞆音(くらかともね)だった。
 稲生、実津瀬よりも一つ二つ年下で、佐保藁の宮に来るのも初めてなのだろう。緊張した面持ちで立っていた。
「や、お二人とも、早くに来たのだな」
 稲生が声をかけた。
 これまで何度か顔を合わせているが親しいわけではないので、挨拶をし、当たり障りのない会話で時間を繋いだ。
 そこに浅野稲雅と曽野亘(そのわたる)が現れた。
「これで皆様がお揃いになりました。さ、どうぞ椅子に掛けてください。主人からも座って待っていただくように仰せつかっておりますので」
 と言って、さっき入ってきた扉に向かって緩やかな半円に並べられた七つの椅子の前に案内された。
 誰がどこに座ったらいいか、と皆が顔を見合わせた。
 皆、代々高い官位についている一族の子息たちではあるが、今時点の親の官位をみた時には岩城稲生の父蔦高が高い位にいたので、皆が稲生を押し出した。稲生も状況を読んで、特別な装飾のある桂が座る椅子の左側の椅子に腰を下ろし、その反対の右側の椅子に椎葉孝弥が座って他の四人も何となくの順番で座った。
 ここまで案内してくれた従者の言葉では、桂はいつ現れるかわからないという口ぶりだった。
 情熱的であるが冷めやすく、また野放図なところがある桂だから、他のことに気がいっていて、準備が整っていないということかも知れない。しかし、そのことはここにいる六人は間接的にでも知っているので、内心はこれからどれくらい待つことになるだろうかと思っていた。
 六人は鬱陶しい長い雨の話をぼそぼそとしていると、後ろで母屋に通じている扉が開いた。皆は音がした方へと振り向くと、案内してくれた従者が出てきて、その後ろに影が見えたので、六人は一斉に立ち上がった。
「皆、そのように畏まらなくてもよい。私は肩苦しいのは嫌いだ」
 入るなりそう言ったのは、思った通り桂だった。
 侍女の持った灯りに照らされて目にも鮮やかな赤い上着を着、髪を一つに纏めて結い上げた姿で登場した。
 六人は頭を下げて桂を迎えた。
 桂の気に入っているこの石畳の部屋は母屋と回廊で繋がり、扉を開けると板の間がある。そこから階段を四段降りると、石畳にたどり着くのだった。
「皆、よく来てくれたな」
 石畳を下りて、空いている椅子の前に立った桂は皆の顔を眺めて言った。
「はい。本日はお招きいただきありがとうございます」
 桂の左に立つ稲生が皆を代表して感謝の言葉を言った。それに合わせて五人は頭を下げた。
「今日は食事の前に、少しここで話をしようと思ってな。まずはここに来てもらった。自慢の庭だ」
 桂が椅子に座ったので、六人はそれに倣った。
「戸を開けてくれ」
 後ろに控えている従者に桂は言った。
 従者は静かに頭を下げて、実津瀬たちが入ってきた出入り口に向かった。
「皆、心の中で思っていたのではないか?こんな梅雨の時期に月を見ながら飲み、食べて語ろうなんてことできるのだろうか、と。きっと雨が降って月など見られないだろうとな」
 桂は自虐のような言葉を言って、六人の顔を見回した。
「雨は雨の風情がある。皆がここまで来るのに大変な思いをするかもしれないが、雨に濡れた草木を眺めて、雨音を聴きながら酒を飲むのもいいと思っていたのだ。しかし、二日前から晴れが続いた。私は運がいい。月を見ながら皆と酒を飲み、話ができる」
 暗くなった庭には小さな明かりが灯されて、月の光を邪魔しないように配慮されていた。
「満月ではないが、明るい月の夜だ。私はここで椅子に掛けて、月を眺めるのが好きなのだ。皆にも味わってもらおうと思ってな。私流のもてなしだ」
 桂の話にじっと耳を傾けていたから、母屋側の扉から侍女たちが盆を持って入ってきたことに気づかなかった。侍女たちは桂の前に進み出ると盆の上のものを差し出した。
「皆、杯を取ってくれ。母屋には食事を用意しているが、その前に少しばかり酒を楽しもう」
 桂が杯を取ると、六人も二人の侍女が二手に分かれて各自の前に差し出す盆の上から杯を取った。全員が杯を取ったのを見届けると、桂は杯に口をつけて、その中の白く甘い酒を少しばかり飲んだ。六人も桂に倣い杯に口をつけた。
「月見といえば、実津瀬だな」
 稲生の隣に座っている実津瀬に視線をやった。
「どうだ、舞の仕上がりは?着々と進んでいるのか?」
 桂の問いかけに実津瀬は桂に向き直って答えた。
「はい。……正直に申しますと苦心しています。二度目となると前例を超えるものをお見せしたいという気持ちになるものですから」
「そうか。そうさせているのは私だから、よろしく頼むとしか言えないな」
「……実津瀬は……そう言っているものの、毎日鍛錬をしていますから、きっと昨年を上回るものを作ると思います」
 稲生が恐れながら控えめな声で話し始め、実津瀬への期待を口にした。
「稲生!そうだな。私もそう思う」
 桂は左隣に座る稲生に言うと、右隣に座っている椎葉孝弥に向いた。
「椎葉の邸にも美しい庭があるのだろう。父の荒益に聞いたことがある。どうだ、私の邸の庭は。そなたの邸の庭と比べても遜色ないだろう」
「滅相もございません。父がどのように桂様にお伝えしたのかわかりませんが、椎葉の邸の庭などこの佐保藁の宮とは比べものにならない小さなものでございます」
 と孝弥は答えた。
「この邸はもともとある王族の邸だった。孝弥はここに来るのは初めてだったな。そなたがここに来ることを荒益は何か言っていたか?」
 桂の問い掛けに孝弥は何のことだろうか、と怪訝な顔をした。
「いいえ、この宮については特に何も言われませんでした。桂様は先ほど、実津瀬殿にお話しされていたように、舞や音楽にお詳しい。私は全くそのような分野の素養がありませんので、よくよく勉強してくるようにと言われました」
他の者たちも、桂の言いたいことをわかるという顔の者はいなかった。
 桂はその反応に落胆したわけではなかった。ここにいる者たちは皆幼く、少し年長の自分が記憶しており、王族という立場だからその内情を耳にしているだけだとわかっている。その内容は孝弥にとって、いい話ではない。
 この宮を作った先王の弟である春日王子は、謀反を起こし、その罪を問われる前にこの邸から都の外へと逃げた。その時に邸から一緒に連れて行ったのが孝也の母だった。人の妻を連れて逃げるとは、道ならぬ仲であったと想像された。孝弥にしたら、母の不義を突きつけられる場所であったため、当然そのことを知っている父の荒益に佐保藁の宮に息子が行くとなると、少し心に引っ掛かるものがあるかと、桂は思ったのだった。
「そうか……。この邸は少しいわくがあるので気にしている者がいたら、と思ったのだ。……しかしこの邸は贅を尽くした素晴らしい邸だ。今日初めて来た者はよく見て帰っておくれよ」
 桂は言って、喉が渇いたのかそばに置かれた台の上に置いていた杯を取って、一口飲んだ。それを見た六人も思い出したように杯を煽った。
 実津瀬は初めて佐保藁の宮に呼ばれた孝弥や曽野亘が緊張しているのがよくわかった。それは桂も想像していたのか、若い二人には優しい声音だった。曽野亘にもここまでくるのは遠かったのではないかと問いかけて、曽野亘は孝弥と同じように。
「滅相もありません。私のような位の低い者をお招きいただき、光栄でございます。父からも、桂様と他にいらっしゃる方々のお話をよくよく聴いて帰るように言われております」
「ははははは。そう畏まるものではない。難しい話をしたいわけではない。仕事が終わった後に、ここまで足労をかけた。美味しい食事をご馳走しよう。存分に食べて、そして飲んで帰って欲しい」
 桂は言って、従者を呼んだ。
 それから桂を先頭に庭を通って母屋に上がった。
 部屋の中に入ると、上座の桂の席と、その前に三人ずつ二列で向かい合わせの席が用意されていた。
 ここでも六人の頭には席順をどうするか、ということが頭をよぎったのだが、階を上がって部屋に入るまでに偶然にも石畳の間で桂の左右の椅子に座った順で列を作っていたので、六人はそのまま座れば良いと察したのだった。
 円座の上に座ると、四人の侍女が手に脚付きの台を持って現れた。それが置かれると、すぐに料理を載せた盆が運び込まれた。
「おおっ」
 台からはみ出て置かれた皿の上には海のもの山のものの食材が贅沢に料理されて盛られていた。人によっては、見たこともない食材もあって、思いは様々で六人は揃えるつもりはなかったのだが、一斉に感嘆の声が漏れた。
「嫌いな食べ物がないといいのだが」
 客の反応に嬉しくなったのか、桂は皆を気遣う言葉を言った。
 首を右から左にゆっくりと動かして、膳の上を眺めていると、再び四人の侍女が手に物を持って入ってきた。六人は顔を上げると、侍女たちは徳利を持っていて、膳の前側に置かれている杯を手に取るように促した。
 全員の杯に酒が注がれると、桂が杯に口をつけ、料理に箸をつけたので、六人も倣って食事を始めた。桂の様子を気にかけながら、会話と食事をしていたのでいつの間にか簀子縁に楽器を持った演奏者が現れて、曲が演奏していることにしばらく気がつかなかった。
 桂はよく飲み、よく食べて、その間に六人に色々と尋ねた。
 質問は多岐に渡る。
「皆は旅をしたことはあるか?」
 桂は尋ねた。六人は誰が最初に答えるか、と顔を見合わせた。
「恥ずかしながら、私は仕事で都の外に行ったことはありますが、何日もかけて旅をしたことはありません」
 稲生が言った。
「……私も都を出たことはありますが日帰りできる距離です」
 孝弥が言った。
「私は難波津まで行ったことがあります。仕事で舟の荷下ろしを見に行きました」
 そう言ったのは倉加鞆音だった。今は民部省に勤め、地方の税の管理をしている部署にいるのだった。
「へぇ。そうしたら海を見たのだな」
「はい」
「話には聞くが私はまだ一度も海というものを見たことがない。いつか見てみたいと思っているのだ。他に海を見た者はいるか?」
 桂の問いに誰も答える者はいなかった。
「鞆音は貴重な経験をしているということだな。羨ましいことだ」
 それから桂は難波津にたどり着くには何日かかかったのか、海を見た時の気持ちはどうだったかを尋ねた。桂は興味津々で鞆音の答えにも質問した。そんな興味の質問が続いたと思ったら、急に今の都の状況を尋ね始めた。
「昨年は雨が降らない時期が続いて、食料の心配があった。どうだ、都の周りで飢饉が起こっていないか?」
「人々の暮らしはどうだ?疫病は大丈夫か?」
「都の治安はどうだろうか?野盗が蔓延っているということはないか」
「そなたたちの上司はどうだ?皆、上手くやっているか?中には人の上に立つべきではない者もいるらしい。何か悩んでいることはないか」
 皆、自分の仕事で見聞きしてきたこと、自分自身の体験、家族、使用人たちから聞いたことなどを話す。実津瀬、稲生、稲雅は学友といった間柄だから三人で最近はどうだ、と会話をしてその間に桂が口を挟んだ。
 舞や音楽などの芸事だけでなく、庶民の暮らしや政治のこと、若い貴族たちの仕事の人間関係も気に掛けた質問は、噂に聞く桂とは違う側面が見えて、六人は驚きと共に認識を新たにするのだった。
 しかし、時が経ち酒も進んでいくと、酔った桂の質問は次第に六人の恋愛話に切り込んでいった。
「皆、妻はいるのか?稲生、実津瀬、稲雅には正妻がいるな。妻とは仲良くやっているか?」
「孝弥、亘、鞆音はどうだ?美しい娘との出会いを望むなら、私が知り合いの美女を紹介することもできる」
「どこで知り合うのだ?親が決めると、気が合わない娘だったら大変だろう。足も遠のくというものだ」
 自分の妻や愛人のことをあけすけに語る者はいない。 
 美しいと評判の女には何人もの男が人伝てに、手紙で、直接忍んで邸を訪ねてと様々な手段で会おうとする。ここにいる六人の中で、もしかしたら思い人が同じということがあってはいけないので、用心して誰もやんわりと話を逸らしている。
 桂もそんなことは承知で、はっきりと言わないことに腹を立てたりしない。もし、この場で調子に乗って自分の恋愛話をするなら、桂は面白がって色々と突っ込んで話を聞くだろうが。
 桂の右側の一番遠い席に座っている曽野亘が席を立って、桂の前に進み出てその杯に酒を満たしていると、桂は言った。
「亘はこの中では一番若い。まだ、妻と呼ぶ人はいなかったはずだな。どうだ?どのような娘が好みなのだ。私が好みの女人を紹介しよう」
 桂の質問に曽野亘は困惑の表情を出さないように目尻を下げた笑顔を作って答えた。
「私はまだ未熟者で、まずは仕事に集中するように父からも言われていますので、ありがたいお言葉ですが今は女人のことは」
「何を言うのか!そんなことは父親には黙っていればいいではないか。何を正直に女人を寄せ付けないようにしようとするのだ。もったいない!」
 と声を荒げた。
「杯を取れ!そなたは飲み足りていないようだ」
 曽野亘は膝をついたそばに置いている自分の杯を取って上げると、桂は徳利を掴んで杯に並々と酒を注いだ。
「さぁ飲め。羽目を外すことも必要だぞ」
 桂に言われて曽野亘は喉を見せて、杯の中の酒を飲み干した。すでに赤ら顔であったのに、一気に飲んで少し体が揺らいでいる。
「よし、まだ飲めるか?」
 曽野亘の様子などお構いなしに桂は徳利を傾けようとする。亘は桂の言うことに答えなければと震える手で杯をあげた。
「曽野殿はもう随分飲んでいらっしゃいますよ。そして、桂様も沢山飲まれましたね。だいぶ酔われていると思います」
 そう言って、桂の後ろから桂の持つ徳利に手が掛かった。

コメント