New Romantics 第ニ部STAY(STAY GOLD) 第七章11

小説 STAY(STAY DOLD)

今日も淳奈は舞をすると言って、母の手を取って一緒に階を降りて、庭で父に教えてもらった簡単な型を何度も何度も舞った。
「お水を飲みなさい。喉が乾いたでしょう」
 芹は侍女の編から水筒を受け取って、淳奈の前に跪き水を飲ませた。
「お父さまが帰ってきたら、見てもらいましょう」
 淳奈は水をごくごくと喉を上下させて呑んだ後に、母に向かってにっこりと笑った。
 それから、今度は芹が淳奈の手を取って、階を登り部屋の中に入った。編が炊いた搗き米を握ったものを持ってきて、芹は淳奈にそれを食べさせた。淳奈は食べながら眠たそうに目を細めていたので、芹は搗き米を皿に戻すと、淳奈を膝に抱いて背中をとんとんとたたいて寝かしつけた。
「芹さま、私が運びましょうか?」
 淳奈が眠ったら、編が後ろから近づき言った。
「もうだいぶ重たくなったから、編が一人で抱えるのも大変よ」
 芹がいうと、傍に仕えている従者の天彦が庇の間から声をかけた。
「芹様、私がお運びしましょう」
「天彦、すまないわね。お願いするわ」
 天彦は芹の腕から淳奈を抱き上げて、奥の部屋の褥の上に寝かせると、すぐに立ち上がり部屋を出て行った。
 淳奈は年が明けて四歳になった。大きくなったと思う反面、まだまだ小さくて幼くてかわいい。
 上向きに寝かされたその寝顔を見つめていると、芹は時間を忘れてしまう。淳奈が寝ている間に、実津瀬と淳奈の夏用の肌着を縫い進めておかないといけないと思い、隅に置いている箱を左手で引き寄せた。
 淳奈が寝返りを打ったり、寝言を言ったりするたびに芹は顔を上げて、その様子を窺った。
そうしていると、後ろでコトリと音がした。振り返ると、そこには実津瀬が立っていた。
「あら、お帰りになっていたのね」
「今、ここに来たところだ」
 そう言って、実津瀬は芹の後ろから眠っている淳奈の顔を覗き込んだ。
「今日も舞をやるんだ、と言って庭で、あなたに教えてもらった舞を何度もやっていたのよ」
「そう?では、起きたらその舞を見てみよう」
 実津瀬は笑顔で言った。
「私たちの部屋に行きましょう。あなたは疲れているでしょう」
 芹は立ち上がって、伊緒理の右腕に手を掛けた。
「今日はどのような舞をしたのですか?」
 実津瀬と一緒に簀子縁を歩きながら、芹は訊ねた。
「初めと終わりの二人で一緒に舞う部分を練習していたんだ。麻奈見様が対決は二回目だから、前回とは違った舞台にしようと言ってね。麻奈見様はさすが、代々雅楽寮の長を勤められている一族の方だ。見ている人に舞を楽しんでもらいたいと考えられて色々なことを思いつかれてね、それをみんなで試している。今日も、こうしようああしようと言い合ってね」
「お顔は疲れているように見えるけど、声は楽しそうね」
「ははは。そうかい?確かに、毎日忙しい。覚悟はしていたことだけど、出仕と舞の練習の毎日は体がもたないこともある」
「一年前も大変な練習をしていたわね。でも、今年は楽しそうに見えるわ」
「そうだね・・・昨年はこれが最後の舞の舞台になると思っていたからね。思い詰めて練習をしていた。・・・今年も勝負をすることには変わりないのだけど、皆、昨年よりも違うものを作りたいという気持ちが強くてね、それが面白いと思っているのだ」
「そうですか」
 実津瀬の話を聞いている間に、実津瀬と芹の部屋に着いた。
「曜、奥の部屋を整えておくれ」
 後ろをついて来ていた曜に実津瀬が言った。
 曜が奥の部屋を整えている間、芹は実津瀬の着替えを手伝った。
 上着を脱がせて、楽な部屋着に着替えさせた。
「お部屋が整いました」
 曜が言うと、実津瀬と芹は几帳の向こうへと行った。
「ふう。私が疲れているように見えるなら、癒しておくれよ」
 実津瀬は褥の上に上がると、その手前にいる芹に左手を差し出した。芹は親指だけの右手で実津瀬の手を握ると、褥の上に上がった。
「淳奈が昼寝をしている間は、私たちもゆったりとしようじゃないか」
 実津瀬の言葉が合図になって、二人は褥の上に座った。
「あなたも昼寝がしたいのね」
 芹の言葉に実津瀬は照れ隠しの笑みをこぼした。
「いいのよ。私も横になりたいと思っていたところよ」
 そう言って、芹は実津瀬の手を引いて褥の上に横になった。その上に覆い被さるように実津瀬が寝そべった。
 横になった二人は自然と抱き合った。
 芹は背子を着けたままなので、実津瀬は横になったまま帯を解いて、背子を脱がせた。
「日の当たるところにいたんだな。今日は暖かかったから」
 実津瀬は芹の体に腕を回してその肩に顔をうずめて言った。
「・・・わかるの?」
「暖かな陽の匂いがする」
 実津瀬は芹の肩に顔を埋めたまま匂いを鼻腔に吸い込んだ。
「それで、今日はどのようなことをしたの?一緒に舞う・・・・朱鷺世と言う人と」
 芹は実津瀬を抱き返して訊ねた。
 芹の言葉に実津瀬は今日の稽古場での練習のことを思い出していた。
 昨年の勝負では、何が何でも勝ちたいという思いで、馴れ合ってはいけないという思いから一緒に舞うあの男・・・・朱鷺世とは不必要に話すことはなかった。相手は都近くの村から子供の頃に宮廷に働き口を求めてやってきた男だと聞いた。その男が、雅楽寮に忍び込み雑用をやりながら見よう見まねで舞を始め、実津瀬が舞うことを辞退した月の宴で抜擢されて舞の素質を見出された。桂に気に入られて、重用されてその後の活躍は実津瀬も宮廷の行事や大王主催の宴で見て知っている。
 自分とは全く違う境遇の男と今、大王を始め、観る人全てを楽しませるために意見を出し合って、切磋琢磨していることの不思議を思った。
 舞は前回と同じように、最初は二人で同じ型を舞う。中盤はそれぞれの一人舞台となる。この舞で勝敗は決められる。そして、最後、再び二人で舞って終わる。また、前後の二人舞は前回と同じ型にすると決まっていた。
 それを今日、最初の二人舞は前回と同じは面白くないと麻奈見と淡路が言い始めた。
「淡路と振りの変化を考えたんだ、どうだろうか?」
 淡路の後ろに実津瀬と朱鷺世が並んで立ち、淡路の舞を見ながら舞った。
 初見ながら淡路の舞にぴったりとついて舞う朱鷺世に、実津瀬は焦りを感じた。もたもたと遅れて振りをする自分が許せない。
「二人ともすぐにできるな」
 実津瀬の遅れている様子を淡路はわかっているだろうに、あえて指摘しない。
「最初はゆったりとした舞でも手の動きや足捌きに少し変化を入れる。二人が向かい合った時、交差していく時も少し変化を入れようと思う」
 と言って、麻奈見と淡路が向かい合って考えた舞をみせる。それを今度は実津瀬と朱鷺世が真似して見せる。
 思い描いていたものとは違う時は、麻奈見と朱鷺世、実津瀬と淡路が組になって、舞ってみてその動きや観客からの見え方を確認する。朱鷺世が率先して舞い、動きを見せる。それが、的確でとても美しく、実津瀬は嫉妬してしまうのだった。
 去年はかろうじて自分の方が技術は上回っていると思っていたが、その後の朱鷺世の成長が目覚しく、今は後ろを追いかけていると認めざるを得ない。
「実津瀬様、芹様」
 実津瀬、芹についているもう一人の侍女の槻が隣の部屋から声をかけた。
「なあに?」
 芹が返事をする。
 実津瀬は芹の襟元を寛げさせて、首筋から胸の上へと顔を動かし、唇をその肌に押し当てていたから声をすぐに出せなかった。
「淳奈様が目を覚まされて、芹様を呼んでおられます」
「……」
 芹はどう返事しようかと考えて、黙っていると、実津瀬が顔を上げて言った。
「淳奈を連れて来ておくれよ。あの子の舞を見てやりたいから」
「はい。承知いたしました」
 槻が部屋を離れる衣擦れの音が遠ざかると、実津瀬は芹から体を離した。
「……実津瀬、いいの?」
「このまま芹に甘えたいが、淳奈に会う時間は今しかない。私達には夜がある。今夜、続きをしようじゃないか」
 そう言ったものの、実津瀬はすぐに気持ちを切り替えられず、もう一度芹の剥き出しの肩に口づけた。
 そうして、起き上がって衣服を整えていると軽やかな足音が勢いよく近づいてきた。先に身なりの整った実津瀬は立ち上がって隣の部屋に行った。
 淳奈は部屋に入る手前で走るのをやめて、ゆっくりゆっくり歩いて入って来た。
「父さま!」
 入口を一歩入ったら、庇の間に父が立っているのが見えて、淳奈は嬉しそうな声で父を呼んだ。
「淳奈、お昼寝から起きてお母さまを呼んでいたの?涙が出ているじゃないか」
 赤くなった目を覗きこんで実津瀬は言った。
「……」
「お母さまが見えなくて寂しくなったの?」
 そう訊ねると、淳奈は頷いた。
「もうすぐお母さまは来るよ」
 と言って、立ったままの淳奈の体に腕を回して抱き寄せた。
「父さま、今日、舞をしたの」
「舞を庭でしたの?」
 実津瀬は芹に聞いていたことを淳奈に訊ねた。
「はい」
 淳奈は大きな声で返事をした。
「……淳奈、お父さまにあなたの舞を見てもらったら」
 実津瀬に乱された身なりを整え終わった芹が奥の部屋から出てきて言った。
 淳奈は頷いて、父と母の前で昼間やっていたことを見せた。
 泣き跡の残る気弱な顔から、舞をやると言って立った姿、顔つきは凛々しいものに変わっていた。
 実津瀬は部屋の隅の棚の上に置いている箱から笛を出して、一曲吹いた。
 足の運び、手を上げた角度、伸ばした手の指先と舞を美しく舞うために注意するべきところがいくつかあり、淳奈はできているところもあれば、まだまだ上手く動けないところもあった。曲を終わらせると、実津瀬は淳奈に話しかけた。
「よく練習しているね。私が教えたことをこんなにできるなんて驚きだ」
 父の言葉に淳奈は嬉しそうににっこりと笑った。
「褒めてもらえて良かったわね、淳奈」
 父と母の前に一歩近寄った淳奈の手を握って芹は言った。
「淳奈。もう一度舞をしてごらん」
 実津瀬に言われて、淳奈は笛の伴奏なしで舞を始めた。
「うん、そうだ。よく手が伸びている。そうそう、ここは足をもっと前に出して」
 と、淳奈の舞の手直しをした。
 淳奈の前で見本の舞を見せて、それ通りに舞わせる。淳奈は真似をしてやっているつもりでも、小さな体は何度やっても上手くできない事もある。
「そうじゃない、こうだ」
 そう言って、実津瀬は手を添えて教えてやる。
 四歳の幼な子には少し厳しい教えのように思えるが、淳奈は舞を舞うと言って立った時の真剣な顔のまま父の指導を受けた。
「うん。いいよ。美しい」
 父に言われて、引き締まった顔に再び満面の笑みが広がった。
 息子の姿を見ていると、ひとつひとつ小さな練習を越えていけば、再び舞の高みに立てるはずだと信じる気持ちが湧いてきた。朱鷺世の目覚ましい成長で、勝負に負けるかもと弱気になる事もあるが、焦っては上手くいくものもそうはいかない。今はじっと我慢して一心に練習に励む時だと言い聞かせた。

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