翌日、蓮は母や妹弟たちと一緒に日の出とともに車に乗って都に帰って行った。
都に帰れば、父から強い叱責があると思った。大王に謁見するために大路を行進する行列を乱すような行為をしたのだから、何かしらの罰を受けている可能性がある。それを父から言われるだろうから、誠心誠意お詫びをして、自分のできる償いをするしかない。
それは体が震えて止まらないくらい怖いことではあるが、自分がしでかしたことだから甘んじて受けるしかないのだと心に言い聞かせた。
蓮たち一行は日が暮れる前に邸に着くと、玄関では実津瀬が待っていた。約二か月ぶり会う母や妹弟たちを出迎えたいという思いだけど、一番は双子の妹を心配してだった。
宗清、珊、榧は久しぶりに会う兄に向かって走り寄って行った。実津瀬も小さな妹弟たちがかわいくて、懐に入れて頭を撫でたり、手を握ったりして無事に帰って来たことを喜んだ。
次に実津瀬は母の礼を出迎えた。
「別れてからふた月までも行かないと思うけど、なんだか随分と顔つきが変わってしまったように見えるわ。もう子供ではないと思っていたけど、本当に子供ではなくなってしまったような顔」
と母から言われた。
母と別れた後の自分の違いと言えば、恋をした……そして、その女人を知ったこと。
それを母はなんとなくでも感じ取っているのだろうか。
「あなたの成長は楽しみよ。寂しくもあるけど下の子たちがいるのだからあなたをいつまでも子供と思うのは無理があるものね」
と続いた。
「父上が、部屋でお待ちですよ」
母はわかっています、というような顔をして頷いて、先を歩く下の子たちの後を追って夫の実言がいる部屋に向かった。
そして、母の後ろに隠れるようにしていた妹の蓮が現れた。
「派手なことをしたものだね」
兄にそう言われて、蓮は下を向いた。
「……あんなことするつもりはなかったのだけど……」
「それで、伊緒理には会えたの?」
蓮は頷いたが、その後は黙った。
「お別れできた?」
実津瀬がそう訊ねると、蓮の下瞼に涙がたまった。
「……できたわ、よ……とっても惨めなお別れが、ね……」
涙をこぼすまいと感情の起伏を抑えながら蓮は答えた。
「惨めか……。でも、お別れができたのならよかった。そうでなければ心残りになっただろう。そう考えたら、蓮、よかったのではないかい?」
蓮がじっと実津瀬を見つめて何も言わないので、実津瀬は自分の袖で蓮の頬を拭った。
「お父さまに挨拶しておいで、その後部屋においでよ。待っているから」
蓮は自らも手の甲で涙を拭って、頷くと恥ずかしそうに笑って母と妹弟たちの後を追った。
遅れて庇の間に入ると、部屋の奥には父と母が隣り合って座り、妹弟は父の前に座って話をしていた。
「遅くなりました」
蓮が部屋の中に入って詫びて、母の隣に座った。
「ああ、蓮。今ね、宗清の背が伸びたという話をしていたんだよ。みんなはわからないというけど、私は久しぶりに会うからその変化がわかるのだよ。隣に立っていると、前よりも宗清の顔が近くてね。ああ、背が伸びたのだと思ったんだ。皆、首を傾げているけどね」
当の宗清も自分の成長のことなどわからず、不思議そうな顔をしている。
「そうですね……宗清は少し大きくなったかしら……その、私も一昨日会った時にそう思いました」
「そうだろう。成長は早いものだね。榧も珊もそのうち気がつけば立派な女人になっているのだろうね」
感慨深げに実言は言った。その後は、束蕗原での出来事を妹弟たちが順に話す時間となった。実言はどんなに小さな子でも、話しているときは最後まで聞くのだった。
最後に六歳の珊が一生懸命に束蕗原で一番楽しかったことを話している。蓮はいつ父に大路での出来事を言われるのだろうと、気が気でなかった。
妹弟たちが話し終わると、実言は嬉しそうに。
「そうか、皆が楽しく過ごせてよかった。束蕗原は良いところだからね。だけど、お前たちの家はここだからね。ここが一番と思って欲しいものだな」
「お父さまがいるところが一番さ。このおうちが大好きだよ」
宗清が大きな声でそう返事をしたので、実言は嬉しそうに笑った。それから、小さな子供たちは自分の部屋に戻って行った。蓮はいよいよ自分の番かと身構えて、座っていると。
「蓮、まだいるの?私はこれから礼と二人きりで過ごしたいから、用がないなら部屋にお戻り」
用があるのは父の方ではないか、と思ったが父は大路での出来事などおくびにも出さない。恋しい妻の礼が帰ってきてやっと二人でゆっくりできるところになぜか居座ると、邪魔者扱いだ。
「……はい、失礼します」
蓮はそう言って部屋を後にした。父から何も言われないのはなぜだろうか……気味が悪い感じは残るが蓮は実津瀬の部屋に向かった。
「蓮!」
実津瀬は机の前で本を読んでいた顔を上げた。蓮が来ることを見込んで円座が置かれていた。蓮は実津瀬の隣の円座にすとんっと座った。
「お父さまに何か言われた?」
蓮は首を横に振った。
「なんにも。何か言われるかと思って待っていたけど、お母さまと二人きりになりたいから早く部屋に戻れと言われたわ」
「そう……父さまらしいね……。蓮が束蕗原に行った日だけどね。私は帰ってきたら邸の者たちが右往左往していた。聞けば蓮が一人で馬に跨って飛び出して行ったという。供は誰もいないし、どうしたことかと皆が血相を変えていたよ。鋳流巳が束蕗原に行ったことがあるはずだと思い出して、私が今すぐ行ってくれと言ったのさ。その後にお父さまが戻られて、それに合わせたようにご丁寧に大路での出来事をご注進に来た者があって、蓮が馬で宮廷に向かう行列を蹴散らして走り去ったということが分かった。束蕗原からは夜通し馬を飛ばして深夜に使者がこちらにたどり着いて、蓮が束蕗原に一人で来たと報告があったよ。それで、蓮が無事であることがこちらも分かったということさ。夜が明けたら、お父さまは宮廷に行った。いろんなところに頭を下げて回ったようだよ。はっきりとは言わないけどね」
蓮はしょんぼりと下を向いて言った。
「そんなことになっていたのね。私は……伊緒理に会いたいという気持ちだけで、周りのことは何も見えていなかったわ。……お父さまにそのようなご迷惑を掛けていたのね。お母さまだけになった時に、怒鳴りつけてほしかった……。本当に申し訳ないわ……」
「お父さまと二人の時にしっかりと謝ったらいい」
実津瀬は読んでいた本を閉じて、しっかりと蓮の方に体を向けた。
「それで……どんなことをしたら伊緒理と惨めなお別れができるっていうの?」
それを説明するのは至難の業である。何をどう言ったらいいかと、蓮はしばらく思案してから口を開いた。
「私……もしかしたら伊緒理は、私のことを思っていてくれても、異国に留学するから私を突き放したのかもしれないと思って……それならそれでいいの。私は伊緒理の将来の邪魔をしたいわけではないから。だけど、伊緒理が私のことを思ってくれているなら、私は伊緒理にどうされてもいい。私は伊緒理を忘れたくないから、心の中にも……そして私の体にも……だから、抱いてと頼んだの。だけど、私の将来を考えろ……と、私には伊緒理の気持ちはわからないと言われて……部屋を出て行ってくれと言われたわ」
それを聞いて、実津瀬は少しばかり言葉が出なかった。蓮の伊緒理を思う恋心が自分の体を好きにしてくれと言わせたのだが、それに乗じて伊緒理はそんなことをする男ではない。
「お父さまから聞いたけど、留学生になるには何かしらの実績がなければいけないようだ。伊緒理は宮廷の薬草園で働いてもいない、医者の元で学んでもいないために、簡単に留学生にはなれなかった。それで、子供の頃から世話になっている医者の元で一年間学び、試験を受けて合格し、その医者、父上の荒益様、そして父の岩城実言の推薦によってこの度の留学生として認められたそうだよ。想像するに、岩城の推薦があるとなしとでは伊緒理の留学の行方は違ったものになったらしい。だから伊緒理はお父さまが推薦してくれたことをとても感謝をしていて、お父さまにお礼を言いにこの邸を訪ねて来たようだ。……伊緒理は岩城実言に恩義を感じているんだ。その娘の蓮を弄ぶようなことはできないよ。そして、これが本当の伊緒理の気持ちだと思うけど、これから命懸けで海を渡るんだ。ここに戻って来る保証はない。いつ死んでしまうかもわからないのに、蓮を縛り付けるような思いを残すなんてことはできないよ。蓮のことを思えば思うほどに、自分ではない相手を選んで幸せになってほしいと思っているのさ」
そう実津瀬に諭されて、蓮は少しばかり納得した。
伊緒理は私のことを思ってくれているからなの……。
それでも違う言い方があったと思う。私が伊緒理の気持ちがわからないなんて言い放って、出て行ってくれと言われて、あんな拒絶された別れ方なんてない。
「納得していない顔だね」
「そんなことないわ……伊緒理は優しい人だということはわかっているもの」
実津瀬と蓮が額をつき合わせて話しているところ、几帳の陰から宗清と珊が顔を出しているのが見えた。その後ろには榧が立って様子を窺っている。
「宗清」
「……兄様とお話したくて来たよ」
囁き声で宗清が言った。
「いいよ、入っておいで」
蓮も笑顔で三人を迎えた。
久しぶりに兄妹五人が輪になってああだこうだと話をして、夕餉を一緒に取ったのだった。
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